記忘記 note/off note 2017-03-04
ふいご(off note / on-63)
コンポステラでの篠田昌巳は残された時間と壮絶に格闘しなが力ずくで自らの音楽を創造していっただろう。その遺志と音楽を引き継ぐようにストラーダもフォトンも(そして、オドゥンも)あったとおもう。だが、ふいごはすこしちがう。篠田の遺志を地下水脈のように通わせているにはちがいないが、その景色はまるで異なるのだ(亡き篠田が片腕とも杖とも頼んだ中尾勘二、関島岳郎が参加しているにも関わらずである)。篠田が自らの音楽に渾身の一撃を込めたとしたら、ふいごの音楽はその力のかかり具合をスルリとかわす合気道的な「脱力」を指向する。人間、長く生きていりゃ、力こぶばっか作ってもいられまい。それに、少しばかり斜視でも前向いて歩くってのが大事だ。ポストコンポステラの鬼っ子たちは音の中でそう話しているように思えてならない。この音楽にある種のテンションが加われば鬼に金棒。
2017-05-12 15:45