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記忘記 note/off note 2020-01-18


日々の泡

いま、わたしたちは「転型期」を生きているのだ、という想いを日々つよくせずにはいられない。本年冒頭、CDというメディアの寿命があとどれくらいかわからないが、せめて最期を看取ってやりたいという趣旨の雑感を綴った。振り返れば、1970年代後半〜80年代初頭にも「転型期」の風潮はあっただろう。このときはじめて、わたしたちはアナログからデジタルへ向かうメディアの転換点のとば口に立ったわけだが、危機を契機と捉えられず、時代風潮のなかに漂う「終末感」ばかりを嗅ぎ取ったように感じる(リバイバルとしてのポストジャズエイジ・暗い谷間の1930年代)。むろん、このへんは個人的印象であって正確ではない。が、いずれきちんと検証されるべき現代史的テーマであるようにおもう。とまれ、デジタル時代の到来がわたしたちの暮らしに劇的な変化をもたらしたか否かといえばどちらとも言えない。デジタル化の波によって消えた商売はいくつもあるだろう。わたしの身近なところで言えば、活字の写植屋とか製版屋、レコードのカッティングエンジニアなどは要らなくなった。これはほんの一例で、消えた職業はまだまだ数えきれないけれども、失職した人たち(わたしの挙げた職種にかぎって)の大半は業務内容が替わっても相変わらず同じ業界に留まって生計をたてていたのではないかと推測する。カニの横ばいみたいなものだ(なんのこっちゃ)。ここでCDに話を戻すと、同様に音楽を記録するフォーマットがデジタルに変更されたからといって、音楽の内実までは変わらなかったのである。ただ、およそ一世紀近くかけて蓄えられたアナログの尖端技術を一夜にして反故にしてしまったのは残念だったが、この突然降ったようにできた穴ぼこもアナログのノウハウを根気よくデジタルに置き換えることで徐々に埋まっていただろう。そこで導かれる答えは、アナログといい、デジタルといい、所詮は「道具」に過ぎぬということだ。「道具」は「身体」を媒介しなければ機能しないのは理の当然。煮つまった思考を停止してひょいと眺めてみれば、現今のCDも戦前からのSPレコードも共に同一形状をした円盤型ではないか。この形状にアナログとデジタルの差異は認められぬ。レコードが円形状の「円盤」であることの意味は存外に大きい。この円さはなぜ、円筒式蓄音機「フォノグラフ」が用いられず、円盤式蓄音機「グラモフォン」が採用されたか(「レコード事始め」エジソン VSベルリナー、蓄音機覇権争い)の近代史的事象を遥かに超えて(ワープ)、UFOのようにさらにわたしたちの想像を「始原」へと攫い連れ出してくれそうだ(無意識裡の取捨選択、人間は本性において「円融円満」を志向する生きものなのか)。たとえいま、わたしたちがたまさかの「過渡」を生きる過渡的存在ととしても、人間であることに変わりゃしないだろう。だとすれば大仰に考えるこたぁない、次の角(過渡)を曲がってコンビニに行くようにごく自然に、当たり前に振る舞えばいいのかもしれぬ。 2020.1.18

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