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記忘記 note/off note 2020-09-13

根っこの行方

某大手法律事務所のCMで若い女性が〽︎あの雲にまかせて〜と歌うのがあるだろう。81歳の母はあれが聴き取れぬという。時代によって耳の感度には差異が生じるものだが世代間に音の壁があるのもまた事実だ。加齢で音が判別できなくなるのは仕方ないとしても若い訴えや世界の叫びには耳を澄ませていたい。

日本人が怒りをすぐに忘れてしまう民族になったのはいつごろか。そんな昔からではあるまい。中世説経『俊徳丸』は継子虐めの話だが結末に主人公俊徳丸を虐待した継母と異母弟の首を鋸を引いて刎ねるテキストが存する。庶民大衆がこの残酷な結末に喝采を送ったのだとしたら怒りはどこに鎮められたのか。

立憲民主と国民民主合流には心底失望した。代表選を経て現れたのが見飽きた顔だったり看板架け替えずいきなり商売かという苛立ちはあるがそのことではない。一度決意した草の根路線を忘れてまたぞろ永田町の論理に回収されている一点に尽きる。草の根が覚束ないならデラシネでいく発想がない貧困さだ。

歌と歌・音楽と音楽・世代と世代の間にこうスラッシュばかり埋め込まれると聴くべき声や音さえ届かなくなる。スポーツなら階級別は意味あろうが表現にジャンル分けは不要だろう。要は個別の表現に力があるかどうかだ。拳闘でも蚊トンボや藁っぽではちと食い足りぬ。どうせ味わうなら中・重量級がいい。況や表現をや。

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