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記忘記 note/off note 2021-07-08


いつか、もうすぐマザースカイ

2018年の「今日」、森田童子さん逝去の際に綴った駄文をコピペ。
3年まえの駄文を読み返しながら、先日突然もたらされた訃報・中山ラビさん逝去の悲しみが重なる(今月4日逝去)。森田さんとは一片の言葉すら交わしたことがなかったが、ラビさんとはごく薄い、あるかなきかの儚い縁を結ぶことができた。2001年に企画した浅草木馬亭でのオムニバスライブにご出演していただいたことと、2010年に逝去された藤村直樹さんの追悼ライブ(京都拾得)の際、会場脇でごく短い会話を交わしていただいた、たったそれだけだが。「会えば最高」とラビさんが歌ったように、出会い、多くの時間を共有できていたらきっと最高だったけれども、人とひとの出会いはすれちがうだけのこともあるし、すれちがいすらしないことだってある。だが、すれちがっただけのラビさんにも、出会うことができなかった森田さんにもたくさんの「贈りもの」をいただいた。そう、二人が丹精こめて愛で育てた「歌」という同時代の豊穣な記憶の果実を。

ねぇ あんたは旅空で あるんだよ 生きるには守る物が 
一人前になるだろう 過ぎた物は捨てようぜ
子供にはこういってやんな 
親父の地獄は ゆっくりと消えていく
夢がお前を育て拾えば その夢は夢で繋がっているのさ 
訳なんか聞いちゃダメなのさ 判ればきっと泣くだろう 
見つめ ため息で愛が通うのが判るんだよ…
(子供にはこういってやんな・中山ラビのうたえる)

中山ラビさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。2021.7.7

今朝、つげ忠男さんから電話。いろいろと逡巡した末、森田童子追悼集会に読む弔辞の依頼をおことわりしたという。「やはり、一度もお会いしたことがない方の弔辞というのは失礼な気がして…」「森田さんはウチの店(忠男さん経営のジーンズショップ)に来たことがあるらしいんです。それなら、一声かけてくれたらよかったのに」「そのときに一言でも言葉を交わしていたら弔辞だって書けたかもしれない」。
引退してから亡くなるまでまったく公の場に姿を現さなかった森田さんだが、二度だけ例外があるそうな。一つが1984年3月5日付『日本読書新聞』に寄稿した『 懐かしのメロディー つげ忠男劇画作品集 2』(北冬書房 1983)書評だ。いまひとつは1993年、教師と生徒の禁断の恋を描いて話題になったテレビドラマ『高校教師』の主題歌に『ぼくたちの失敗』が採用されて大ヒットしたとき。が、そのときにも森田さんがマスコミ取材に応じることは一切なかったという。(以上、サックス奏者・川下直広さんが教えてくれたネット記事から得た情報による)
…ということはだ、引退後においてご本人が意識的にメディアへ登場したのは前者「書評」のときのみということになろう。それほどまでに、森田童子はつげ忠男作品につよく惹かれていたのか。それも思いが募って店まで訪ねてしまうほど熱烈に。それにしたって、あこがれの作家が目の前にいるのに一言も声をかけられずやり過ごすなんて、まるで一〇代の少女のようじゃないか。名前そのままの、また、歌からつたわってくる純真無垢な森田童子像をわたしは勝手に思い描く。『或る風景』(つげ忠男 / 1970)と『マザースカイ』(森田童子 1976)がどこかで出会い・溶け合うことはなかったのか。人の世って儚いものだ。人間同士、たがいに思いはあってもどこかですれ違ってしまうことがある。いくつもの感情が胸中を駆け廻る(おれだって森田童子には一度も会ってないのにさ)。すると、電話の向こうのつげ忠男さんが、「故人がそうして暮らしてきたように、心静かにご冥福を祈りたい」と語り、 「それが一番」とナットクするおれ。2018.7.8

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