記忘記 note/off note 2021-07-12
自虐と被虐のバラッド
昨年「今日」のおろかなつぶやき三つ。読み返して奇妙な錯覚に陥った。というのも昨日、木下優樹菜の新たな恋愛報道が報じられるのを目にしたばかりだからだ。まさに十年一日、一年まえと現在の境も区切りもなく「スキャンダル」は捏造され流通される、面白おかしくばかばかしく。だが「ご飯論法」によく表象される、ばかばかしさのトートロジーの際限なきリフレインは確かに大衆の感性を鈍麻する麻薬であり中毒性に充ち満ちている(誘惑されて棄てられて)。麻薬の常用が大衆の身体を害し、健康な批評精神を損ねているのだとしたら、そいつを逆手にとって、私たちがこれから創ろうとしている新たな「トピカルソング」のリフレインくらいにはなるかもしれぬ、自虐と被虐のバラッドの。まあ、それよりもまず健康な身体と批評精神を見事なまでに弾力性を喪った活力なき社会全体に速やかに回復することが先決だが。2021.7.12
木下優樹菜復帰〜引退報道の流れは奇妙に映るが要はヤンキー姐ちゃんがイケイケ体質を剥き出しにして芸能界という虚構を突き抜けてしまったということに尽きるだろう。そんな彼女の背中に梅津和時「USED GO-GO」はよく似合う。軽いステップで踊りながら人世を押し渡れ。2020.7.12
芸能スキャンダルが報じられるたびに暗澹たる想いにさせられる。その囲い内のみで流通する規範の黙契に従わぬもの、幻想(イメージ)の共同体に人間らしい生々しさを投じたものが狩られる。虚構の「やすらぎの郷」では身体が禁忌と見える。芸能が身体を失くしてかなり久しい。2020.7.12
本来、芸能者は異界からのメッセージをつたえるマレビトだっただろう。そこには日常から彼岸への超脱が企図されていたはずだ。濁世の向こうに現れる浄土のなつかしさとあこがれ。今の芸能は全く逆だ。日常という虚構に埋没して一片の夢さえ見させてくれぬ。大衆の夢の総量を思え。2020.7.12
蛇足:2003年、アメリカのイラク侵攻に抗議して私たちが制作した『瓶の中の球体』続編のリクエストをいただくのは有難い。もし実現できるならウディガスリーの存在は欠かせない。1930年代「ダストボウル」と現在の「コロナ禍」とその後の地球社会を重ねるのは意義あることだろう。2020.7.12
おまけ:サッカー欧州選手権を伝えるテレビ音声の「観戦」が「感染」に聞こえてドキッとする。コロナ禍では観戦が感染リスクを伴うのは当然としても6万人以上がマスクなしでスタジアムへという事態は慄然とする。だが他国の事情に慄えてばかりもいられない。この国もあと10日余りで無為無策の東京五輪開幕。不謹慎ながら、どなたも五輪中にご臨終にならなければ幸い。2021.7.12
2021-07-12 14:00