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記忘記 note/off note 2019-04-16



未だ懲りず飽きずに一年前の旧稿。三上寛さんは渡辺勝さんの詞と音のありようをこう言いあてた、「マサルの音楽はどこか曖昧でゆらりと浮かんでくるが、驚くほど潔く広大だ」。そう、渡辺勝さんの詞は境界線上に無限かつ夢幻につづく人間存在の葦原のなかをゆゆうらゆらとゆっくり彷徨う。マサルさんの詞がいっかな具象性を帯びず曖昧なのは、つねに日常からの解脱を指向して「異界」との交信を重ねているからにほかならぬ(ゆえにエミグラントの音楽は隠者・遁世者の系譜にダイレクトに接続する)。であれば表現だけではなく、渡辺勝の存在そのものが「マージナル」の一幻像なのだ、そうおもえなくもない。そしてさらに妄想をめぐらす、エミグラントという音の集合はファウスト・渡辺勝の詞の魔法陣に喚びよせられた音の使徒・メフィストフェレスではなかったかと。詞と音の錬金術による「千年王国」か「百年の孤独」かは知らず。が、もういちどだけたしかめてみたい。詞と音が溶け合う地平「無頼平野」を闊歩するエミグラントたちの群影を。 2019.4.16

MEMO 未生音 2018

2001年、オキナワでおこなった二日間のライブの模様を収めた作品。ここに集結したジャンルも世代も拠点も異なる5人のエミグラントたち。思えばこれほど不思議な集いもないだろう。渡辺勝は東京から、川下直広は福岡から、船戸博史は京都からやって来て、そこに地元オキナワの城間和広が合流し、それまで一所不在だった伝説の音楽家・國仲勝男まで加わったのである(なんて非効率なんだ!)。ゆえに、この編成はけっして「バンド」とは呼べない、一個の音楽家の集合なのだとおもう。ならば、一夜かぎりのジャムセッションか、と問われれば、それにもまた素直に頷くことができない。なぜなら、当の音楽に意志が宿り、カタチを変えながらもエミグラントたちの「夢の隊列」は熄まずに延々とつづくことになるのだから。だが、ここで肝心なのは「容れもの」ではなく、「中身」の音楽であるはずだ。わたしはかつて、本編の主役・渡辺勝の紡ぐコトバのありようと、ここで実現した音楽の連関性についてこう綴った。

 ことばとコトバを繋ぐもの。彼の詞にはいつも何かが足りない。ことばはコトバへ至る中間でいつも宙吊りのままだ。コトバの領域。意味を超えた場所。其処こそ彼が紡ぐ詞が渇仰する「響和国」だ。ことばたちはきっと安住の地に辿り着きたくて幾度も飛越を繰り返すが、ずっと向こう。それでことばたちはいつも宙吊りのまま歪な格好を強いられ、アクロバットな様相を呈するのである。
 「響和国」にいとも容易く辿り着ける空想の翼。それが音楽である。今度の楽旅は彼のことばに宙天を自在に飛び廻れる空想の翼を与えたのだろうか。夢の隊列。ことばは連なりながら一目散にあの場所へと向かう。そう、なつかしいあの場所へ。そうだ、オトとコトバが響き合うモノガタリへと昇華しながら。
(ライナーより一部抜粋)

そう、ここで最も重要なことは云うまでもなく、個々の邂逅を超えた「コトバ」と「オト」の出会いであったのである。「未生音=未だ生まれざる音」という発語には、未來に向かって獲得される「音」というより、原初の記憶の底にある言葉ならざる「言霊」や「響き」が多分に含意されているはずだ。「コトバ」と「オト」が異化しながら提示される大きな時間「時の刻」。それこそ、わたしたちが最もあらわしたかったことにちがいない。だとしたら、音楽はけっして終らない。生まれるべきときを待って、夢幻の裡に形ならざるカタチの変転を繰り返し繰り返しているのかもしれぬ。 2018.1.24


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