記忘記 note/off note 2019-10-10
日々の泡
ちょうど2年前の投稿。いま読み返すと唄のみならず音頭にも相通ずるものがあるな。河内音頭の重鎮・日乃出家小源丸師曰く「まずは想いの丈を乗せて大声で言葉を発すること。音頭にコブシは不要。個性や節なんてものはあとからついてくる」。うーむ、小源丸師の櫓で鍛えた野性は「ウタ」と「カタリ」の発生地点を如実につたえ「芸能の始原」を顕示する。いまこそ、語りものを中軸に据えた「声の響和国」の建設を。 2019.10.10
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大昔は酒かっ食らった挙げ句、徒党組んで街を練り歩いて「高歌放吟」なんてのがあったと聞くが、あれなどが「大正演歌」騒乱の原点なのではないか。60年代に高田渡さんらハタチの唄うたいたちがアメリカ製フォークソングに添田唖蝉坊の演歌を重ねて、この国の風土に見合った独自の「唄」を定着させようとしたが、あの「唄」と「語り」の中間のようなスタイルにこそ、時代を物語る契機があったのではないかと愚考するのである。いまの時代に見合った「シュプレッヒシュティンメ」の創出を! 2017.10.10
2019-10-13 06:23