カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ お客様の声 サイトマップ
RSS
OFF NOTE CD NET SHOP
off note  DISC AKABANA  Katyusha MISORA RECORDS
〈オフノート/ディスク・アカバナー/華宙舎/ミソラレコード/邑楽舎〉CD通信販売
INFO
TEL 03-5660-6498   MAIL info@offnote.org 
[お支払方法]
郵便振替・銀行振込・代金引換・クレジットカード・コンビニ・電子決済
送料無料

記忘記 note/off note 2019-12-04


笛吹き男に誘われて
消えた130人の子供たちと音の行方

ここ数日、阿部謹也著『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』(ちくま文庫)を読みながら「伝説」の内実に思いを凝らす。13世紀ドイツの小都市で起こった130人の子供たちによる大量失踪事件がどのような軌跡を辿って「物語」の体裁を整え「伝説」化していったかを中世ヨーロッパ社会全体を俯瞰しながら具に検証してゆく。「事件」という事実(ファクト)がそのままでは「伝説」化し得ないのは当然だけれども、その過程におけるコード(社会構造)とモード(時代風潮)の隙間から、あるいは心的境位の裂け目から「差別」の位相がくっきりと浮かび上がってくるのは興味深い。本書は一面、謎解き的な面白さもあるのでこれ以上の種明かしはしないが、物語が本質的に「差別」という人の世の哀しみから生まれ、最下層に措かれた窮民や制度の埒外に打ち棄てられた被差別賤民たちにとって「疎外」からの回復の希求であり、自己救済(逃亡や蒸発を含め)の契機の表象であることを本書を一読して納得したことだった。本書を通して阿部氏は、「伝説」を構成する構造や文脈などのデータ、客観的事実にのみ目を奪われるのではなく、そこに同時代の意識や個人の経験や体験を重ねて実証的・主体的に読み解くのが「学問」の作法であると説くが、まったくその通りだろう。氏の「学問」をじぶん自身の立ち位置に置き換えれば「記録」ということになろうが、表現場をスライドしてなお、ここから沁み出てくるものは存外に多い。たとえば、世には「名盤」というものがある。それとはまったく無関係に、今日ただいまこの瞬間にも世界の其処彼処で、無数の「名演」が生まれているかもしれない。それは「音楽は奏でられた瞬間、宙宇に消え、二度と戻らない」(エリック・ドルフィー)一回性を前提としている。が、「名盤」は定着した「記録」であることはもちろん、時代を覆う社会的与件・風潮と大衆の心的境位が斬り結んだり・馴れ合ったり・揉み合ったり・スパークしたりして「伝説」化したものに与えられた栄誉であり称号だったりする。ならば、「名盤」とはすなわち勝者の証ということになろうが、いつの時代でも社会(と歴史の時空間)というのは「持てるもの」と「持たざるもの」の二重構造でできていて、その奥底に沈められた記憶と記録の堆積は何も語らず、しかも無尽蔵である。同時代のサルベージュ(浚渫)、もっと平たく云えば「ドブ浚い」、これが今後おれたちの仕事になるのかな。秘匿された同時代のオーラルヒストリーのなかから永く語られ・読み継がれるオトとコトバのモノガタリを些かなリとも浮かび上がらせてゆきたい。 2019.12.4

コメント

[コメント記入欄はこちら]

コメントはまだありません。
名前:
URL:
コメント:
 

ページトップへ