カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ お客様の声 サイトマップ
RSS
OFF NOTE CD NET SHOP
off note  DISC AKABANA  Katyusha MISORA RECORDS
〈オフノート/ディスク・アカバナー/華宙舎/ミソラレコード/邑楽舎〉CD通信販売
INFO
TEL 03-5660-6498   MAIL info@offnote.org 
[お支払方法]
郵便振替・銀行振込・代金引換・クレジットカード・コンビニ・電子決済
送料無料

記忘記 note/off note 2017-04-18



読後MEMO
今野勉『宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人』 

今野勉『宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人』 (新潮社 2017年2月)を読む。かつて詩人にして稀代の工作者・谷川雁は『ものがたり交響』(筑摩書房 1989年)において宮沢賢治作品のもつ豊穣な物語資源、テキストの多義性を開示してくれたが、本書はテレビマンという著者の経歴に相応しく、賢治心象のスケッチを現実のタイムテーブル上に丹念にトレースしながら物語の内奥に眠る実相を鮮やかに喚び覚ますドキュメンタリ的手法が採られている。同時にそれは、本書で採用された手法と等しく賢治作品もまたドキュメント性に裏打ちされた現代のものがたりであることを大きく示唆してくれる。「東北」「FUKUSHIMA」「熊本」「オキナワ」etc、現在を如実にあらわすキーワードを宮沢賢治、風の言葉に重ね合わせながら「いま」をどう読み解くか。ひとえにそれはわたしたち一人ひとりの主体にかかっているだろう。曠野のただなかを風に吹かれて旅人のように彷徨うのもいい、本書に触発されてもういちど、あの厖大な宮沢賢治全集を耽読したくなった。労作にして好著。

記忘記 note/off note 2017-04-12-2




昭和初年、江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作らの探偵&怪奇小説の挿絵を描き、幻怪妖美な画風で一世を風靡した竹中英太郎(1906ー1988)の挿絵原画などを展示。英太郎は1935年、人気挿絵画家であった絶頂期に突如筆を折り画壇から訣別するも、元祖ルポライター竹中労(英太郎長男 1930ー1991)の懇請により、1967年から労のためだけにふたたび絵筆を執る。竹中労制作・五木寛之原作映画「戒厳令の夜」劇中で使われた油彩画や、竹中労著作の装幀や挿絵、沖縄島唄のレコードジャケット等を飾るべく単色画のみならず彩色画も多数手掛ける。竹中英太郎の描いた画は、繊細・華麗・妖美・幻怪と流体力学的に千変万化しながら具象・抽象の境界を自由自在に飛越して観る者の心を烈しく衝迫する。

記忘記 note/off note 2017-04-12




10日『SP巷談二〇世紀之大衆藝能38回ーSP盤で綴る昭和世相&芸能史②』無事終了。今回は昭和4〜5年の世相風俗をSPレコードの溝の裡に探った。昭和初年、世はエロ・グロ・ナンセンス時代。 〽ジャズで踊って リキュルで更けて…(西條八十『東京行進曲』昭和4年)、当世流行りのジャズのリズムに乗って「銀ブラ」「円タク」「モボ・モガ」「ステッキガール」「イット」等々当時のキラキラ語が時代の意匠(衣装?)をまとって躍り、「モダーン」「尖端」の表象(商標?)をシルエットのようにくっきりと浮かび上がらせる。昔、ジャズってのは音楽の一ジャンルなんかじゃなくて「尖端」を意味してたんだね。

記忘記 note/off note 2017-04-11



三村恭子さんのこと

昨日久々に高円寺円盤で歌手・三村京子さんに会う。三村さんとの最初の出会いは2005年、同じ円盤でのイベントのとき、彼女はまだ早稲田の学生だった。彼女の唄が醸す独特な世界に非凡な才能の閃きを感じたが、まだ背伸びしているように見えた。たとえるなら、経験の乏しい新進女優がちょっぴり手の届かない大人の役柄を演じているようなぎこちなさと言えばいいか。ありあまる才能に身体が追いついていかない、そんな感じ。要するに唄が板についてなかったのだ。とまれ、その夜をきっかけにすこしずつ交流が始まった。オフノートのツアーにも何度か参加してもらい、名古屋、京都、沖縄を一緒に旅したことはいまでもいい思い出だ。あれからもう10年以上も経つのか。その後、彼女の音楽活動は断続的だったようだが、2015年暮にリリースされた5年振りの第4作『いまのブルース』は、等身大の三村京子がそこにいて心に染みた。言葉の一つひとつが丁寧に磨き抜かれ、それを表現へ換える感性も共に研ぎ澄まされてぴかぴか輝いていた。ようやく才能が下のほうへ下りてきた、いい時間の重ね方をしているな、そう思った。久々に会った三村さんの元気そうな様子を見て、これからいつまでもずっとうたいつづけてほしい、心の中でそっとねがった。

記忘記 note/off note 2017-04-10



河内音頭馬鹿一代 初音家秀若師とのこと

2010年にメディアプロデューサー・澤田隆治先と出会って大衆芸能への視座が開けると、同時に永らく遠ざかっていた河内音頭までも指呼の間に捉えることができるようになった。河内音頭との出会いは約35年前のハタチ頃。はじめて生の河内音頭を耳にした瞬間、既成の音楽に感じたことのない大きな衝撃が全身を走った。漂泊の聖痕が刻まれた物語の中に死者の霊を呼び寄せて弔い、現世を生きる善男善女からはぐれ者まで踊りの輪の中に誘い、踊りに躍らせる乱舞のカオス、踊る阿呆も見る阿呆も狂踏の坩堝へ叩き込む音頭。盆踊りという魔法陣に踏み迷い、わたしは近くて遠い異界へといとも容易く攫われてしまったのである。洋楽のコピーではない、この国の風土と言葉から掴みとられた独自のリズム。まさにバラッドにしてダンスミュージック!わたしは音頭が醸す無頼の気風にすっかりイカレてしまった。幸い(というか不幸なことに)、わたしのそばにはルポライター・朝倉喬司さん、ジャズ評論家・平岡正明さん(お二人とも故人だ!)というまたとない水先案内人がいたから、わたしは誘われるまま一直線にカワチスワンプへどっぷりとはまり込んでしまっただろう。早速、朝倉喬司さんを隊長に担ぐ全関東河内音頭振興隊の末席に加えていただき、朝倉さん、平岡さんはじめ、批評家・伊達政保さん、藤田正さん、音楽プロデューサー、鷲巣功(現・錦糸町河内音頭大盆踊大会主宰者)さんら音頭に憑かれた諸先輩方と新宿ゴールデン街のバーで、錦糸町の居酒屋や浅草の酒場で音頭の展望について、夜を徹して語り合ったのはいい思い出だ。きっと、わたしは河内独特の風土に冒され熱に浮かされていたのだとおもう。数年過ぎるとなぜだかわからないが、流行性の感冒が完治したときのようにケロリと音頭熱は冷めてしまった。毎夏つづけていた河内通いもぴたっと止め、まるで憑きものが落ちたように音頭の世界から遠ざかっていった。その間、南島歌謡の蒐集や同時代音楽の作風の模索に没頭し気づいたら四半世紀近く。冒頭に綴ったように澤田先生の出会いにより、興味がありながら無縁だと思い込んでいた大衆芸能の世界がぐっと近づいてきた。しかも、記憶の底に封印していた音頭まで引き連れて。
四半世紀のブランクを超えて、未熟若輩者のわたしに河内音頭底なしの魅力をつたえ、さらなる音頭革新への道へ導いてくださったのはいまは亡き初音家秀若師(2016年10月逝去)である。わたしは、音頭のパースペクティブを経験に基づき十全に語れる人をこの人と初代桜川唯丸師をおいて他に知らない。音頭一筋に全生涯を賭けた「音頭馬鹿一代」。わたしにとってこの人と出会い、河内の音頭の過去・現在・未来を見つめ・考え・行動できたことは今生の佳き思い出だ。ここに初音家秀若師との恊働の軌跡を掲げる。短い間に、鉄砲博三郎、初音家石若、現役最古参の両師の音頭を音源化できたのも、知られざる浪曲音頭の誕生を捉えた超レア音源を纏められたのも、河内音頭コンクールを催し若手の糾合と各会派の大同団結を呼びかけられたのも秀若師あったればこそだ。わたしたちの恊働に全生命を傾けて挑み、燃え尽きたように逝ってしまった秀若師。どんなに感謝してもしきれない。いまのこされたわたしたちは初音家秀若師の遺志を引き継ぎ、この音頭のさらに遠くまで運んでゆくだろう。音頭のリズムに乗って浮き浮きと…。



記忘記 note/off note 2017-04-08




身体を巡る幻視行

2017年4月8日 · Twitter
Retweeted offnote (@offnote_info):

わたしの目下の課題は音頭・浪曲ルネサンスの作風を提出すること。貸本文化から興り『ガロ』によって深められた劇画表現に新たな照明を当てること。戦前まで遡る沖縄島うたの成立のルポルタージュでありフリージャズにおけるネグリチュードとコスモポリタニズムの分水嶺を踏査し演習する幻視行である。

お取り扱い店が増えました!



場ナベサン(新宿ゴールデン街)様でも、月刊つげ忠男絵はがき帖『風信』をお取り扱いいただけることになりました。置いていただいたわずか数時間の間になんと!6冊もお買い上げいただきました。どうもありがとうございます!

スズキオージの力業



スズキオージの力業
昨晩のツイート、二つ。

久々に新宿ゴールデン街へ。知人の店で鈴木翁二新譜『ダ世界ー地球へ降りてゆこう』試聴音源をモニター。1967年・新宿騒乱前夜の記憶と現在と。半世紀の径庭を想う。いまのオレがあらわしたいのは現在のモノガタリ。伝説再訪でもなければ予納された未来でもない。さらに表現の刃を研ぎ清ませ。

鈴木翁二新譜『ダ世界ー地球へ降りてゆこう』試聴音源を聴いて漫画を描く鈴木翁二の姿が浮かび上がる。ペン先に全神経を集中させ極限されたケント紙の白にインクの黒を滲ませ自身の王国を獲得し単独者の宇宙を造型しようとする営為。漫画少年たちが営々と築き上げた夜の国を音で表せたかな?

※鈴木翁二新譜『ダ世界ー地球へ降りてゆこう』は6月発売です。

記忘記 note/off note 2017-04-08



ドナルド・トランプの蛮行

昨日6日のドナルド・トランプの暴挙は2003年3月のイラク侵攻をありありと思い出させてくれた。あのときの故意の錯誤は現在、歴史に厳しく断罪されたが、過誤は何度でも繰り返すのか。いま、人類が世界史の刻む時間を生きているなら、歴史健忘症のこの国の住人はもっと自らを律していい。2003年も、今回もまた、大国アメリカの愚挙に逸早く諸手を挙げて賛同した筆頭人がこの国のリーダーと称する愚物であったことを思え。そして友よ、連綿と続く負の連鎖を断ち切るために何度でも昨日の彈劾を新たにせよ。

記忘記 note/off note 2017-04-07



アンダーグラウンド・リサイクルと加川良さん

昨日届いたフォーク歌手・加川良さん逝去(一昨日5日)の報は衝撃だった。昨晩はマイフェバリット『アウトオブマインド』(74年)を聴きながら故人をそっと偲んだ。先にも書いたが2008年、取材インタビューをさせていただいた折りの去り際、「また遊んでくださいね」加川さんは満面の笑みを湛えながらそう言って送ってくれた。思い起こせば取材インタビュー以来、時折いただくご案内も、留守電メッセージも最後はかならず「また遊んでください」その言葉で結ばれていたと思う。果たしてこの一言が真情を吐露したものだったか、それとも単なる挨拶か社交辞令だったかはわからない。ただ、その度にわたしの胸は高鳴り、大きな希望が湧いてきたのは事実だ。いつか、加川良と恊働する日が訪れるだろうと。
60年代に興ったフォークソング運動の騒乱、混沌は「自由の前触れ」だった。70年代に入り苛烈を極めた国家権力による反権力闘争弾圧の中でムーブメントも退潮していったが、フォーク運動が蒔いた唄の種は一人ひとりの心田に確実に植えられていったはずだ。あれからすでに40年以上の歳月が経ち、植えられた種子は一人ひとりの心の中でどのように育っていっただろうか。多くは永い冬の季節のなかで立ち枯れてしまったかもしれない。だが、一粒の種子でも残っているかぎり、いつかどこかできっと花を咲かすだろう。ピート・シーガーが唄う、あの「花はどこへ行った」のように、いくつもの生死を乗り越え流転しながら自由の唄声は蘇るのである。わたしたちは本作にそんな願いを込めた。本作のあらましは惹句の通りだが付記をひとつだけ。
本作にもう一枚のマイフェバリット・加川良『親愛なるQに捧ぐ』(72年)から「偶成」「鎮静剤」を収録した。この二つのカバーを親愛なる加川良さんの霊に捧げたい。生前に恊働はならなかったが、いつかどこかで想いはかならず繋がるだろう。



ページトップへ