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記忘記 note/off note 2018-06-24



日々の泡

外出しようとしたら新譜『唄綵』がどっと届く。あら、25日納品じゃなかったっけ?!炎天下、在庫でパンパンの収納庫をざっと整理して、大汗かいて運び込む。昨日の宛名書きにつづき、またもや五十肩の左腕を酷使してしまった。がんばれ、おれの左腕よ。オフノートの未来はおれの左肩にかかっている。 2018.6.22

お待たせしました。本日より大工哲弘新譜『唄綵ー琉球弧を往還する謡たち』ご予約いただいた方々への発送を開始しました。今日で全体の三分の二ほど作業を終え、明日には全員の方々への送付を完了する予定です。納得いく作品に仕上がりました。到着をどうぞおたのしみに。よろしくお願いうたします。 2018.6.23

記忘記 note/off note 2018-06-23


 

俄・酒場放浪記

昨日は久々に酒場をハシゴしてしまった。新譜『唄綵ー琉球弧を往還する謡たち / 大工哲弘 神谷幸一 金城恵子 徳原清文』(Disc Akabana / ASCD-2013)が出来上がってきたせいかな、なんだかひどく昂奮していたようだ。いつだって作品の完成はうれしいものだが、本作は久々のディスクアカバナー名義の作品だし、大工さんはじめ、たくさんの関係者の方たちと丹誠込めて作っただけによろこびもひとしおだ。本来なら、まずは関係者の方々の労をねぎらうのが筋なのだろうが、一人勝手に祝杯をあげちまったって次第(乞うご寛恕)。
ふりだしは高円寺、muiさんに頼まれたCD(『蓬莱行 / 大工哲弘』『瓶のなかの球体 / フォークパルチザン』)を手渡して、ホルモンを肴にホッピーを三杯。それから新宿ゴールデン街に赴き、行きつけのナベサンへ。店主・ナオさん相手によもやま話。シークワーサーサワーの杯を重ねてすっかりいい気分。すると、しきりに誰かと音楽談義がしたくなった。友人数人にメールして声をかけるも急の誘いでは応じられる人は皆無。普段なら「潮時」とあきらめて帰るものを気持ちの昂りおさまらず、久しぶりに池袋ぺーぱーむーんへ。扉を開けた瞬間に音楽に包まれる。ここはおれにとってのエスコラージ、音楽の学び舎だ。店主の山本一樹さんにはいろんなことをおそわったし、ここでたくさんの出会いを果すことができた。新譜ができるたびにまっさきに持参し、山本さんに聴いていただいたものだ。そう、山本さんの一言がどんな高評よりもうれしく、おれに大きな勇気を与えてくれたことだった(散々に酷評されて口論することも屡々だったが)。この日も『唄綵』を聴いて、「七〇になった大工さんの声はいいね。若い頃の力業ではない、深い味わいがある」。うん、長い言葉はいらない。うれしいよ、市井の名伯楽・山本さんからその一言が聞けただけで今宵は十分だ。あとはひたすら音楽。隣り合わせた初見のマーカスさんを交えて片言の国際音楽談義。ドイツ人で自動車エンジニアのこの御仁は、ブルーズが大好物で、最近ではサックス奏者・林栄一のアルトに痺れ、ライブの追っかけをしてるという。やっぱり、面白いな、ここは。山本さんが気合いで発している音の魂魄が「気」となって、一人またひとりと、ヘンな人を呼び寄せるのかな。まさに同時代のアンテナショップだ。おれも音楽制作を本格化したからにはまた足繁く通うことにしよう。もっともっと音楽の知見を深めるために、たくさんの出会いを果すために。そんなことをぼんやりと考えていたら終電間際。急いで池袋駅へ。しっかし、このタイムテーブルもまるで昔のままだなぁ。久々にいい夜じゃないか。

記忘記 note/off note 2018-06-22


陰徳あれば陽報あり

今週はずっと『韓国歌謡史』仕上げ作業。CD制作は慣れているが、本作りは久しぶりで、戸惑うことの連続だった。待ちに待った金時鐘先生からの帯文(お忙しい中、ご無理を言って引き受けてくださったのだ)が届き、ようやく最後になった帯データを入稿して、やれやれ一段落。とおもったら、印刷所から「スリップのデータは?」の連絡。担当デザイナーの青木隼人さんは明日からツアーに出かけて来週までできない(青木さんはミュージシャンでもある)というし、来週では間に合わぬ。どうしよう。いろいろ思案しているうちに、藤原邦久さんの顔が思い浮かんだ。藤原さんはオフノート、否、それ以前のディスクアカバナー以来専ら、デザインを提供してくれたレーベル最大の功労者だ。もし、「オフノートの顔」というものがあるとすれば、それは藤原さんと一昨年亡くなられた写真家・桑本正士さんのお二人が作ってくれたと言っても過言ではない。現在、藤原さんはご自身の体調不良とご母堂の介護のため、郷里の岡山に戻り、第一線から退いておられるが、こちらが困ったときはいつでも力を貸してくださる。今回も二つ返事で引き受けてくださり、二巻分のスリップを瞬く間に仕上げてしまった。いつもながらセンスが光る丁寧な仕事ぶりで。藤原さん、桑本さん、エンジニア・石崎信郎さん、鋭い感性とたしかな腕を併せ持った「職人」たちの陰の仕事があればこそ、オフノート作品の一つひとつが輝くのだということをあらためて実感する。まさに「陰徳あれば陽報あり」。おれはといえば出版記念会の宛名書き100余名ほどを母に手伝ってもらいながらこつこつ。一夜明けて、五十肩の左腕(利き腕)が痛む痛む。が、こういう作業の一つひとつが「作品」へ愛情を沁み込ませる道筋なのだから避けては通れぬ。山登りのようにときには苦しいけれど、たのしい作業だ。ただ、てっぺんを目指すのみ。同道者・藤原邦久さん、石崎信郎さんのご健康を切に願う。

記忘記 note/off note 2018-06-21


日々の泡

昨晩、日暮里・山猫印刷所で『韓国歌謡史』出版記念会案内発送作業。おそれながら韓統連代表・梁炳龍さん、山猫印刷所社長・三井峰雄さんにお手伝いいただく。ほぼ終わりかけた頃、友人・沖内辰郎、加名義泳逸両名が仕事を終えて駆けつけてくれる。奇しくもここで、70・60・50・40・30代が一堂に会したのだが、あらわれたのもこの順番だったことがおかしい。まるで「過度期(あるいは転型期と言い換えてもいいだろう)は老人から過激化する」という、平岡正明「過度期時間論」テーゼそのままじゃないか。とまれ、『韓国歌謡史』一冊の本(じっさいは二巻だが)を媒介して、このご時世に毛沢東唱えるところの老・壮・青三結合をささやかなりとも実践できたことがひどくうれしい。日暮里駅前のホルモン屋で後輩二人と軽く祝杯をあけちまった。さぁ、さらなる出会いを求めて!

記忘記 note/off note 2018-06-20


  

鳥の眼と虫の目と

友人の唄うたい、muiさんからまた、『市民音楽室』という新曲音源が届いた。いわく「先週の日曜日に作った『市民音楽室』という歌を送ります。くにたち公民館の音楽室で作った歌です」。早速一聴するが、これは女性にしかつくれない曲だな、と納得する。「音楽」という抽象表現が「市民生活」という日常性のなかにさりげなく顕現している図はなんだかとってもおかしい。さらに音楽の中に鍋釡や箒や叩き、日常雑貨が持ち込まれたらもっと面白いだろうな、とも思うが、そんなのは笠置シヅ子『買物ブギ』以来ずっとあって、いまとなってはもう古いのかな。ならば、100円ショップのグッズに棚を置き換えて…。ま、そんなことはどうでもいいか。それで、おれは唐突に沖縄の作詞家・とりみとりさんのことを思い出した。この人は沖縄民謡最大の女声コーラス・フォーシスターズの一員であり、作曲家・普久原恒勇の片腕として作詞も手掛ける。とりみとりの紡ぐ詞もまた、女性でしかあらわせないものだった。むかし、矢野顕子が『スーパーフォークソング』なるアルバムをつくって「フォーク」をてのひらでコロコロ転がせてみせたが、民俗だってモフラだってイタチだって、海や山や川、地球から月から太陽から、ミミズだっておけらだって、森羅万象悉く手玉にとっては軽く転がしてしまうものなんだな、オンナってものの本質は。「万物の母」っていうくらいだからね。というわけで以下、2014年3月『琉球新報』に寄稿した拙稿です。 2018.6.20


 待望の『とりみとり作品集』がリリースされた。全一五曲収録。全編、とりみとり作詞、普久原恒勇作曲による粒揃いの佳曲がずらりと並ぶ。「おきなわのこころを詩うふくはらメロディ」、わたしにとって普久原恒勇が編み出す多彩な旋律は沖縄を包む空気の匂いや色までをしたたかに感じさせてくれる。同様にとりみとりの紡ぐ瑞々しいことばも、彼女が在籍しているフォーシスターズの可憐な歌声も、海を渡ってつたう一塵の爽やかな風のように聴こえるのだ。
 沖縄の人々にとって唄は空気のような風のようなものなのだろうか。わたしのような外部に暮らす余所者にとってさえ、時々訪れる島の風景は唄と分かち難く結びつき溶け合い、「ひかり」と「ひびき」は渾然一体となって島独特の「気」を構成しているように感得される。風景と同化して唄があることの奇蹟。だが、沖縄の島人は唄についてけして声高には語らない。唄は語るものではなくうたうものという自明さにおいて。沖縄庶民にとって唄は万物を生成する空気のようなものなのかもしれない。生き物は空気がなければ一瞬たりとも生きられないが、空気の有り難さを語るものは誰一人いないだろう。どうやら沖縄は奇蹟が人知れずさりげなく顕現している「詩の島」であるようだ。とりみとりが育んだことばたちはそんな当たり前な風景の裏側に潜むもの、さりげない佇まいの向こうにそっと息づいているものに気付かせてくれる。
 「肝がなさ節」「涙のションガネー」「思るがな思てぃ」等の抒情詩は従来の島うたの常套句を巧みに援用しながらも新たな恋愛観を軽々と打ち出しているし、「ジントーヨーblues」での往時の教訓へのさりげない異議申し立ては思索を超えて哲学的ですらある。また、「いそさ」「島人」は島の自然と歴史を雄揮に謳い上げて感動的だ。かと思えば一転、「ニフェーデービル我ったー島」では日常茶飯事を詠んで、痒いところに手が届く機転の良さを示している。叙情と叙事、天翔ける鳥の目と地を這う虫の眼と。普久原恒勇と等しく、とりみとりもまた複眼の人であったのか。ともあれ、とりみとりの詞はふくはらメロディの奥に匿された女性性を大きく引き出す触媒としての役割を十全に果たして多大な効果を納めている。吉屋チルー、恩納ナビー、仲間サカイ、琉球歌謡史に燦然と輝く伝説の女流歌人らの系譜を正統に受け継ぎ、その意義を現代に蘇らせ伝える一人こそ、とりみとりその人であらねばならない。 

神谷一義(音楽プロデューサー)

記忘記 note/off note 2018-06-20




歴史に石を投げること

『韓国歌謡史』出版記念会、名古屋実行委員会の案内文が届いた。すばらしい文章なのでコピペして掲げたい。案内文を起草された蔡さん以外、名古屋実行委の方々とはほとんど面識はないが、このような「歴史認識」「同時代性」を共有できることはこの上ない喜びである。一冊の本が人とひとを結び、一人の人生を変える。そして、その小さな投石の連続こそが、やがて「社会変革」「現実変革」への底流となることをねがってやまない。志あらん方はぜひご参加くださいますよう。さあ、小さな波紋を大きな共鳴の環へ!
(邑楽舎・神谷)


「音盤に刻まれた歳月への旅」へのご案内

荒野でかすれているような年月の奥の歌のひびきを、一冊の『韓国歌謡史』にまとめあげたのは朴燦鎬である。これほどの労作が二〇年余りも、社会の耳目から遠ざけられていたとはなんという心ないことであろう。幸いにもこの度、解放後の韓国歌謡をも網羅して新たに復 刊されるという。
歴史書からは見て取れない時代のうずきが、改めてこだまするであろう。(金時鐘/詩人) 

「歌を通して近代の歴史をたどることは、そのまま、その時代を生きた人々の心情の変転を綴ることにつながるはずだ」(『韓国歌謡史 1895~1945』〈晶文社. 1987〉 あとがき)。
一人の在日青年がそう決意し、茫洋とした果ての見えない旅路についたのは1978年1月でした。あれから40年、そのすべてを韓国歌謡の研究に心血を注ぎ、ようやくその長い旅が終わりを迎えようとしています。
朴燦鎬著『韓国歌謡史 1895~1980』(全二巻.邑楽
おうら
舎.定価各8,000円)として世に出ることになりました。この書はすでに韓国では2009年に出版され、近代韓国の大衆文化通史のバイブル的書となっていますが、今回の日本語版刊行に際して、大幅に加筆したとのことです。また、今までほとんど顧みられることのなかった在日二世による音楽活動の片鱗にも触れていて、これも大変興味深いものです。
折しも朝米会談が開かれ、朝鮮半島の緊張と対立の歴史が大きな転換点を迎えています。
時に臨んで、著者の気の遠くなるような長い旅を讃え、困難を引き受けてくださった邑楽舎に感謝を捧げつつ、下記の要領にてささやかな集いを設けることになりました。
多くの方々のご参加をお待ちしています。 
2018年6月吉日 
「音盤に刻まれた歳月への旅」実行委員会


記忘記 note/off note 2018-06-19


 

日々の泡

朝起きると京都在住の友人・目寛之さんから伝言メッセージ。目さんはオフノート関西駐在員(というかボランティアスタッフ)である。昨日の地震のことが心配で電話していたが繋がらず、あとでわたしの残した伝言に気づいて描け直してくれたのだ。「大きいなと思いましたが、そのまま寝てました」。こんな人もいるんだなぁ。まぁ、目さんはサロンド毘沙門(左京区・元田中)というバーを経営していて毎日明方ちかくまで働いてるからな。余程、疲れていたんだろう。お店の方は「ワインが二本割れたくらい」だったという。よかった、無事で何より。


『韓国歌謡史』デザイン&印刷作業、最後の仕上げとなる帯デザイン・データを著者・朴燦鎬先生にお送りしたところ、返信メール。「帯デザイン、見ました。こんな風になるのですね。神谷さん! やってよかったですね、本当に。後は現物が届くのを待つのみ、ですね。有難うございました」。こういうのがいちばんうれしい。労作業の疲れがいっぺんにふっとぶもの。でも、喜ぶのはまだ早いな。やるべきことはまだ山積み、最後の最後まで心していこう。

記忘記 note/off note 2018-06-18



日々の泡

先日「出版事業開始」を宣言したものだから多くの祝意が寄せられる。そんな大層なものじゃありません、積み残した仕事を一つずつ。それにしてもモノ作りが日々しんどい。齢のせいか。が、残された時間がいとおしいように、出来上がってゆく作品への愛着もまた深い。与えられた時間と遊んであとすこし。

1日24時間では足りん、30時間くれという人があるがまるで無意味だろう。自然界の中では万物が絶えず生々流転してるのが真相で、人は「時間」という概念を思いついて単にスラッシュしただけだ。1日を30時間にしても一人に与えられた時間に変更はない。虚無・自由・使命というワードが脳裏をかけめぐる。

今朝7時58分、大阪北部中心に震度6弱の大地震発生の報。関西在住の友人、知己の顔が浮かび、数人に安否確認のため電話するも混雑していてなかなか繋がらず。幸い、ちんどん通信社・林幸治郎さんとお話しできたが、お元気な声のなかに不安の色が滲む。いまはただ、お一人おひとりの無事安全を心より祈るのみ。

大阪・寝屋川在住の初代桜川唯丸師よりご連絡あり、ご無事を確認。三歩中に地震に遭うもことなきを得て帰宅。被害は「書棚のガラスが一枚割れた」程度とのこと。初代桜川唯丸師と奥さま、ご家族の今後の無事安全、ご健康をお祈りいたします。

今年京都に引っ越したばかりの友人・AHさんからメール。「地震、京都市内は何事もなかったかのように静かです」という。ならば一安心なのだが、ほんとうに大丈夫だろうか。お一人おひとりの安全無事をさらに祈る。

京都在の故藤村直樹夫人・美幸さんより連絡あり。「大丈夫です。ありがとう」の返信。よかった。でも、京都でもまだ電話が繋がらないエリアもあるし、なによりも大阪の友人知己の安否が心配だ。ただただ祈るのみ。

京都在住の友人知己の中でもっとも安否が気になっていた一人、オクノ修さんと電話が繋がり、お元気なお声を聞く。御店(三条河原町・六曜社)もご自宅も何事もなかったと伺い一安心。「かなり揺れたけど、京都はひどくなさそう」。被災地域の方々の被害最小限をひたすら祈る。

日頃お世話になっている河内音頭・初音家歌月さん、三音家小淺丸師匠からご無事の連絡。大阪市内や南河内の被害は限定的たったのかもしれぬ。それても歌月さん「怖かった〜」の一言が真に迫り烈しく胸を撃つ。音頭の友人知己はわが宝。お一人おひとりのご無事と安全を心底ねがう。

阪枚方在住の漫画家・うらたじゅんさんと電話繋がる。午前中は回線が混雑しててまっく繋がらず気をもんだがお元気な声が響く。「書棚のガラスなどを万一に備えて外していたのがよかった」とおっしゃり「部屋のなかは散乱してるけどね」と笑う。たいへんでしたね。ても、ご無事でほんとうによかった。

本日予告通り、つげ忠男さんとお会いして『うらにしの里』原稿と新譜『東京挽歌/原田依幸・川下直広』ブックを飾る古い葛飾下町風景写真をおあずかりしてくる。原稿と画像を一枚一枚スキャンしながら、創造に関われる今日只今をしっかとかみしめる。そう、この瞬間がけっして当たり前ではないことを。

記忘記 note/off note 2018-06-17



うらにしの里

先日、つげ忠男まぼろしの名作「うらにしの里」(『ガロ』1971年3月号)について「現在閲覧不能」と綴った。本作は単行本未収録ながら一時期ネット掲載されていて、すこし前なら簡単に閲読できたはずだが、いまでは閉鎖されてしまったようだ。つげ忠男さんと雑談していたとき、思いついて確認したところ、生原稿はキレイに揃っているという。忠男さんは「ボツになったルポの原稿も残っているはずですよ」と付け加えられた。「ボツになったルポ」とは本作執筆のきっかけになった某月刊誌依頼による「探訪記」のことで、この取材記事はついに掲載されることがなかったとのことだが、なんと不掲載の理由が「探訪記として刺激が弱い」「おとなしすぎる」というものたったというから驚く。当時の編集者からしてみれば、記事のモチーフである「過疎部落」について読者の耳目を惹くようにセンセーショナルな煽り記事にでっち上げてほしかったのかもしれない。ここに「事実」をフレームアップしてふけあがる「差別」の構造を読み取るが、はたして穿ちすぎか。つげ忠男『うらにしの里』は静かな作品だった、そこにも当たり前の人間の営み(世間の風評に晒されているがゆえ、たぶんに警戒心は強化されているものの)があるという自明性に貫かれていたのである。それにしてもこの作品の被った不当な扱いはどうしたことか。苦労して取材した「探訪記」はボツにされ、つづけて描かれた本作も永年、単行本未収録のままいまだに陽の目を見ていないではないか。この作品にはじめて接したときに受けた静かな衝撃をわたしはけっして忘れない。この感動を一人でも多くの人々につたえたいとおもう。わたしの拙い感想をつげ忠男さんにおつたえしたところ、同意をいただくことができた。ささやかながら、『うらにしの里』(元になったルポをも含め)を一冊にまとめたい。 幸いにも、わたしたちには『風信』という協働の媒体がある。「増刊」というカタチでもいいじゃないか。さすれば最早、看板に掲げた「絵はがき帖」の域を逸脱してしまうが、お体裁を取り繕っている場合ではない。それに、つげ忠男アウトサイドが浮かび上がることは読者の方々にとっても、作品にとっても大きな喜びであるにちがいない。躊躇いはない、遠慮もしない。明日、わたしは本作原稿をお借りしに、つげ忠男さんを訪ねるだろう。

記忘記 note/off note 2018-06-16



原野の詞

本日、詩人・金時鐘先生より『韓国歌謡史』推薦文届く。いただいた手書きの原稿をタイプしながら詩人の研磨された言葉の一つひとつに想い溢れる。深謝、ひたすら深謝。


『韓国歌謡史』帯文

歌はいつも時代とともに連れ立っていた。
近代開化も植民地統治も、はたまた戦後の復古調ですら、歌なくしてはやってこなかった。
 そのようにも歌はその時代を生きた人々の、心情の流露をひびかせてきたのだ。
 にもかかわらず巷の歌とも言われたその歌が、時代変遷の歴史的証明として声を留めることはついぞなかった。荒野でかすれているような年月の奥の歌のひびきを、一冊の『韓国歌謡史』にまとめあげたのは朴燦鎬である。これほどの労作が二〇年余りも、社会の耳目から遠ざけられていたとはなんという心ないことであろう。幸いにもこの度、解放後の韓国歌謡をも網羅して新たに復刊されるという。歴史書からは見て取れない時代のうずきが、改めてこだまするであろう。   

 金時鐘(詩人)

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