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記忘記 note/off note 2018-06-20


  

鳥の眼と虫の目と

友人の唄うたい、muiさんからまた、『市民音楽室』という新曲音源が届いた。いわく「先週の日曜日に作った『市民音楽室』という歌を送ります。くにたち公民館の音楽室で作った歌です」。早速一聴するが、これは女性にしかつくれない曲だな、と納得する。「音楽」という抽象表現が「市民生活」という日常性のなかにさりげなく顕現している図はなんだかとってもおかしい。さらに音楽の中に鍋釡や箒や叩き、日常雑貨が持ち込まれたらもっと面白いだろうな、とも思うが、そんなのは笠置シヅ子『買物ブギ』以来ずっとあって、いまとなってはもう古いのかな。ならば、100円ショップのグッズに棚を置き換えて…。ま、そんなことはどうでもいいか。それで、おれは唐突に沖縄の作詞家・とりみとりさんのことを思い出した。この人は沖縄民謡最大の女声コーラス・フォーシスターズの一員であり、作曲家・普久原恒勇の片腕として作詞も手掛ける。とりみとりの紡ぐ詞もまた、女性でしかあらわせないものだった。むかし、矢野顕子が『スーパーフォークソング』なるアルバムをつくって「フォーク」をてのひらでコロコロ転がせてみせたが、民俗だってモフラだってイタチだって、海や山や川、地球から月から太陽から、ミミズだっておけらだって、森羅万象悉く手玉にとっては軽く転がしてしまうものなんだな、オンナってものの本質は。「万物の母」っていうくらいだからね。というわけで以下、2014年3月『琉球新報』に寄稿した拙稿です。 2018.6.20


 待望の『とりみとり作品集』がリリースされた。全一五曲収録。全編、とりみとり作詞、普久原恒勇作曲による粒揃いの佳曲がずらりと並ぶ。「おきなわのこころを詩うふくはらメロディ」、わたしにとって普久原恒勇が編み出す多彩な旋律は沖縄を包む空気の匂いや色までをしたたかに感じさせてくれる。同様にとりみとりの紡ぐ瑞々しいことばも、彼女が在籍しているフォーシスターズの可憐な歌声も、海を渡ってつたう一塵の爽やかな風のように聴こえるのだ。
 沖縄の人々にとって唄は空気のような風のようなものなのだろうか。わたしのような外部に暮らす余所者にとってさえ、時々訪れる島の風景は唄と分かち難く結びつき溶け合い、「ひかり」と「ひびき」は渾然一体となって島独特の「気」を構成しているように感得される。風景と同化して唄があることの奇蹟。だが、沖縄の島人は唄についてけして声高には語らない。唄は語るものではなくうたうものという自明さにおいて。沖縄庶民にとって唄は万物を生成する空気のようなものなのかもしれない。生き物は空気がなければ一瞬たりとも生きられないが、空気の有り難さを語るものは誰一人いないだろう。どうやら沖縄は奇蹟が人知れずさりげなく顕現している「詩の島」であるようだ。とりみとりが育んだことばたちはそんな当たり前な風景の裏側に潜むもの、さりげない佇まいの向こうにそっと息づいているものに気付かせてくれる。
 「肝がなさ節」「涙のションガネー」「思るがな思てぃ」等の抒情詩は従来の島うたの常套句を巧みに援用しながらも新たな恋愛観を軽々と打ち出しているし、「ジントーヨーblues」での往時の教訓へのさりげない異議申し立ては思索を超えて哲学的ですらある。また、「いそさ」「島人」は島の自然と歴史を雄揮に謳い上げて感動的だ。かと思えば一転、「ニフェーデービル我ったー島」では日常茶飯事を詠んで、痒いところに手が届く機転の良さを示している。叙情と叙事、天翔ける鳥の目と地を這う虫の眼と。普久原恒勇と等しく、とりみとりもまた複眼の人であったのか。ともあれ、とりみとりの詞はふくはらメロディの奥に匿された女性性を大きく引き出す触媒としての役割を十全に果たして多大な効果を納めている。吉屋チルー、恩納ナビー、仲間サカイ、琉球歌謡史に燦然と輝く伝説の女流歌人らの系譜を正統に受け継ぎ、その意義を現代に蘇らせ伝える一人こそ、とりみとりその人であらねばならない。 

神谷一義(音楽プロデューサー)

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