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記忘記 note/off note 2022-10-03


浅草ルネッサンスふたたび

昨日ひさしぶりの浅草木馬亭。若女将と話す。浪花節が「静かなブーム」だそうな。毎月の浪曲定席には大学生たちが頻繁に訪れ・中には浪曲師&曲師志望の若者もポツポツと現れているという。若い世代は直面する世界の転換に消えゆく大衆の夢・物語を重ねているのか。危機即契機。いまこそ世界漂流の物語を。

ひさびさに浅草の雑踏を歩く。いにしえより浅草は大衆芸能のマザーランド。私にとっても生涯の恩人・竹中労さんと出会い澤田隆治・瀬川昌久両先生と協働した特別な場所。浅草はいつでもふるくてあたらしい・なつかしさとあこがれが混在する。コロナ禍の夜明けには浅草ルネッサンスをふたたび。

記忘記 note/off note 2022-09-28

弔辞バトル(八百長〕

現首相 VS 前首相弔辞バトル AT 日本武道館。片や官僚の作文で一方は小学生の作文。軍配が小学生に上がったのは政治の言葉の空疎さを如実に物語る。そしてここでの空虚さと幼児性こそこの国の政治状況を見事に反映している。伊藤博文と山県有朋が「明治」近代の闇を招き寄せた張本人であることをゆめ忘れずにおこう。

記忘記 note/off note 2022-09-26

『秋田民謡バラエティー』中止について

年末恒例『秋田民謡バラエティー』を本年も中止させていただきます。総合的に判断してどうしても開催に踏み切れませんでした。お恕しください。2011年ょり浅草木馬亭で開始以来九回を数えた本会ですがコロナ禍のため三年連続で中止。明年の第十回は心機一転・心おきなく開催できますことを願いつつ。

『秋田民謡バラエティー』中止のやむなきに至ったのは偏に感染対策と採算の両立に自信が持てなかったから。毎回たのしみにされている方・支援して下さる方々には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。次の開催は何の懸念なく笑顔で迎えられるよう日々精進することこそお一人お一人への報恩の証と心がけよう。

記忘記 note/off note 2022-09-22

聞く力?

近所の書店の棚に『聞く力』。首相の提灯本かと思いきやさにあらず。阿川佐和子著の対話術指南書で2012年初版。首相のは10年前の二番煎じだったのか。道理で薄くてまずいはずだ。が・「聞く力」が決めめられないことのエキスキューズだったりゴリ押しのアリバイだけだとしたら国民との対話は永遠に成り立たぬ。

記忘記 note/off note 2022-09-20

CUT OUT

アナログ盤にこめられた技術はその末期に最高水準に達していた。SP時代からの蓄積だ。そしていまも進化しつづけている。CDがアナログの遺産を引き継ぐのに要した時間はおよそ四半世紀ほどか。媒体の違いは音楽への愛情があれば乗り越えられるし溶け合うだろう。サブスクからは生の音楽が薫ってこない。

レコードを聴く行為はよく儀式に喩えられるだろう。レコード本体をジャケット・内袋から取り出しターンテーブルに乗せ針を落とす。その行為の中に音楽への信仰や愛情が宿る(あるいは批評や嫌悪・逆もまた然り)。聴く行為が簡略化されれば愛情が染まらぬのは自明。簡便さと引き換えに失ってゆくもの。

記忘記 note/off note 2022-09-19

根詰まりと空洞

首相が唱える「新しい資本主義」の内実を問う声が多いが愚問である。カビの生えた所得倍増や原発新増設で空白の30年を埋めようとする魂胆が古臭い。そもそも資本主義そのものが空洞化し世界的規模で解体を迫られているだろう。からっぽの「新しい資本主義」にたったいまこの国の頽廃が集約されている。

値上げ一般はわがインディーズ業界をも直撃。印刷・プレス代等高騰でCD値上げに踏み切る同業者も多い。輸入盤中心に通販ショップを展開する友人も金持ち相手のショーバイになってゆく現状を憂う。持たざるものの側に身を寄せ絶えず魂を慰藉し鼓舞してきた音楽を断じて特権的趣味嗜好にしてはならない。

記忘記 note/off note 2022-09-18

スペシャルエディション

ここ数年「スペシャルエディション」と称する高価CDセットが大勢だ。商品としての延命措置かCDのもつドキュメンタリ性にようやく着眼したか。名盤誕生のプロセスを生々しく伝えるか楽屋の覗き見で終わるかが評価の分岐点だろう。が・一枚の作品にリスナー一人びとりが無数の物語を読み込める新作の登場を待ちたい。

記忘記 note/off note 2022-09-17

未熟な成熟

CDについて「大量消費を前提する媒体の役割は終わった」と綴ったが諦めてはいない。アナログ盤から持ち越された宿題・長時間化した後期コルトレーンの全体像が顕されたのもプリンスが時間尺いっぱい使って示した一曲集中もCDならではの指向だろう。この媒体の中で試行し志向される主題はまだまだある。

郵便配達シフトが変更されて到着日が読めず困惑。都内近郊でも一週間程かかることもあり「事故か」と気を揉むことしきり。アマゾンなら翌日着く。速さが国力を表すとすればこの遅れは些か気になる。スローライフ?うーん。社会全体がスローダウンしても生活に「成熟」が滲まないのがさらに気に懸かる。

記忘記 note/off note 2022-09-16

同時代の記憶

「CDの終焉」が言われて久しい。たしかに大量消費を前提とする媒体の役割は終えただろう。が・CDは本やアナログ盤などと等しく「モノ」としての側面とともに記録装置の機能を有する。「空白の30年」を埋める豊穣な記憶。時代と世界の交差点で何を考え・どう動き・誰と出逢ったか。同時代の記憶装置。

昨晩大工哲弘さんよりもたらされた作詞家・久米仁さん逝去の報。代表作『娘ジントーヨー』『島々清しゃ』等久米さんの詞は「おきなわのこころ」を謳って沖縄大衆の沃野にしっかり根を張って可憐な花を咲かせただろう。魂の継承・記憶を繋ぐリレー。その足跡を残す「作品集」の実現を大工さんと約す。

記忘記 note/off note 2022-09-15

1998年のオフノート

今月はまだ通販注文が一件もきてない。こんなときは「CDの終焉」を身をもって実感する。同時代の記憶を記録する運動体としてのオフノート。思えば28年の歩みはCDメディアの興亡とともにあっただろう。ならばその寂滅をしかと見届けよう。死灰の中から表現をめぐる新たな共同性が立ちあがるかもしれぬ。

遅ればせながら『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書 2016年〕を読む。宇多田がデビューした98年はCDが最も売れた年。いくつかの要素と条件が重なってあらわれた歌姫の群像。だが水面で歌うディーヴァたちの水底を絶えず響もしていたものの正体を忘れまい。時代の通奏低音としてのインディーズ。

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