カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ お客様の声 サイトマップ
RSS
OFF NOTE CD NET SHOP
off note  DISC AKABANA  Katyusha MISORA RECORDS
〈オフノート/ディスク・アカバナー/華宙舎/ミソラレコード/邑楽舎〉CD通信販売
INFO
TEL 03-5660-6498   MAIL info@offnote.org 
[お支払方法]
郵便振替・銀行振込・代金引換・クレジットカード・コンビニ・電子決済
送料無料

記忘記 note/off note 2019-02-14



2010年に綴った拙文です。「二〇世紀之大衆藝能」本シリーズに着手してすでに9年の時間が経過していますが、その成果は未だ5作を数えるのみです。茶色い戦争の向こう側に消えかかった記憶、大衆音楽が辿った軌跡、庶民あるがまままの実相を浮かび上がらせ定着させる作業にはまことに大きな困難が伴います。たったいまも庶民大衆の哀歓をつたえる歌声・呂律をふたたび甦らすべく戦前戦後の「民謡」集成(第一弾は津軽民謡)に着手していますが、屡々頓挫を余儀なくされる現状に切歯扼腕するばかりです。北前船がとおく在所に人と物を運搬し、同時に唄をも運んだ軌跡「水の道」をかならずわたしたちはルポルタージュし活写するでしょう。やがて「水の道」は海峡を渡り、対岸の「ポピュラー三国志」ヘと到る。そこで展開された「五族共和」「大東亜共栄圏」の夢まぼろし(悪夢を多分に含む)を政治プロパガンダではなく、庶民大衆の側から再考したいとねがっています。SPレコードの溝に記録された記憶を夢魔の彼方から現在に喚び起こすこと。そこに「歴史参加」の契機は存する、そう心に定めているのです。わたしたちはけっしてあきらめない、さらなる幻視行を継続するのみです。 2019.2.14

アンソロジー「二〇世紀之大衆藝能」のこと

いま、わたしは、友人たちと共に一九一〇〜三〇年代のSP音源をあつめた「二〇世紀之大衆藝能」というアンソロジーを計画中である。この企画は完結までに全三〇巻を要する厖大な記録となるだろう。おそらく、制作にかかわる時間は最低三年、あるいはそれ以上の歳月が必要となるかもしれない。けれども、縁あっていまも音楽制作に携わる者の一人としてこの仕事はかならず成し遂げるつもりだ。
二〇世紀のシュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)、烈しい動乱の季節をただひたすらに懸命に生きた人たちの哭き嗤い、その息吹を夢魔の彼方から再び甦えらせる営為。そのことをいままさに嵐の中を駆け抜けようとしている同時代の友人、その一人ひとりにつたえる作業。それこそが音楽によって多くの出遇いを果たし恩恵に浴した者がとうぜん、なすべき報恩の証しなのだ、そうおもっている。この文章をあらたな「長征」の前に措く。以下、無謀な計画、アンソロジー編纂に立ち至った内的動機のあらまし。
二〇世紀を括って戦争と革命の時代であったとよく言われる。また、世界的規模で未曾有の民族移動がおこなわれた時代でもあった。この国もけして例外ではなかっただろう。明治「御一新」以来、「脱亜入欧」を旗印に「富国強兵」の掛け声の下、ただひたすら「国益」「内需拡大」を至上目的として、戦争に明け暮れたのである。さらに西洋列強から押し寄せた近代化の波は、この国の産業、ことに生産手段に劇的な変化をもたらした。そしてその当為の結果として大衆は農村での生活を追われ、都市、あるいは国外へとさらわれるように追いやれていったのだった。この国の民衆もまた、「近代」というこれまでに経験したことがなかった時代の坩堝に無理矢理放り込まれ病葉のごとく翻弄されたのある。
この国の近代化は大衆に一体何をもたらしたのか? 「戦争」と「重税」そして「流亡」だけではなかったのか?? いまあらためて二〇世紀を振り返ってみるとき、そう思わずにはいられない。だとすれば、この時期の大衆はしんじつ、不幸だったのか???
けれども、視点を庶民大衆に移し替えてみるとき、別の位相が浮かび上がってくる。たしかに一面、二〇世紀とは「戦争の時代」であったが、同時にこの国に「大衆文化」が成立した時代でもあった。映画、新劇、オペレッタ、浪曲、ジンタ、唱歌、童謡、歌謡曲&大衆小説…、これらの大衆文化はすべて二〇世紀の産物である。就中、映画と並んで「大衆歌謡」の出現は庶民大衆の圧倒的支持をあつめたと言っていい。謂うまでもなく、そこには「蓄音機」というあらたなメディアが大きく介在していただろう。二〇世紀初頭に登場してから半世紀あまり。唄は世に連れ世は唄に連れ、蓄音機は時代を映して、ときに朗らかな歌声を、ときに昏いささやきを、ときに甘く淫らな旋律を奏でて「ベルエポック」「ジャズエイジ」、疾風怒濤の時代の記憶を記録しつけてきたのであった。わたしたちは一九一〇〜三〇年代のSP音源に刻まれた溝の裡にある、「もうひとつの歴史」を浮かび上がらせることを思い立った。そこにこそ、これまでにけして語られることがなかった庶民大衆、その豊穣な記憶の集積がかならずねむっていることと信じて。幸運にも戦前日本ジャズ研究の第一人者、瀬川昌久という大知識を水先案内人に得ることができた。そう、いまここに、浪曲のナショナリズム、その興亡の軌跡を、あるいは、ジャズのインターナショナリズム、驚くべき浸透力について、余すことなく語り尽くす端緒に着いたのである。わたしたちはきっと、記憶の底の底にふりつもる「歴史のオフノート」を鮮明に喚び起こすことによって、まったくあたらしい大衆藝能アンソロジーを編むことができるだろう。
神谷一義(TRUSH UP 転載 )

記忘記 note/off note 2019-02-13

 

半年前の旧稿です。いま手元にはアルバム一枚分の鉄砲博三郎師未発表音源がある。この舞台音頭「ケレン詠み」のベーシックトラックは永年手つかずのまま、ずっと眠らせてきたものだ。博三郎師は今年で御齢90。よし、今年こそはこの音源を仕上げよう。地元河内勢&オフノート精鋭合作によるわれらがオンドシンジケートを復活させたい。大衆藝能最深部の鼓動をづたたび喚び起こし、森羅万象を励起しながらいまを揺らし踊らすのだ。そしてその指揮官はかならず音頭師・鉄砲博三郎師、その人であらねばならない。 2019.2.13

MEMO 音頭師 2018

本作は現役最古参の音頭取・鉄砲博三郎師(御齢89)初CDアルバムとして2012年に制作された。河内在来の音頭に当時流行していた浪花節の節調を採り入れて現代河内音頭の礎を築いたのは初代会主・太三郎を筆頭とする初音家衆だが、音頭を大阪ローカルなものから一躍「全国区」へ押し上げた最大の功労者が鉄炮光三郎である。1961年に発売されたEP『民謡鉄砲節』の大ヒットによって河内音頭は広く人口に膾炙し世間の所有に帰したのだから。鉄砲節の革新的なところは従来の音頭のリズムにジャズ等外来のリズムを採り入れてその運びをリニアにしたこと、音頭取りの「取り口」の数だけ厖大にあった「節」をEPというかぎられた収録時間に合わせて整除したことが挙げられよう。つまり、鉄炮光三郎が目指したのは河内音頭の「定型化」であり「一般化」なのだが、ここにこそ鉄炮光三郎の功罪が集中していると言っていい。むろん、鉄炮光三郎が「鉄砲節」で試みた音頭の改革がなければその後の河内音頭百花斉放の快進撃はなかっただろう。その意味で鉄炮光三郎を音頭最大の功労者として筆頭に挙げることに躊躇はない。実際、『民謡鉄砲節』はよくできている。わずか4分足らずの所要時間のなかで採用された「節」のいくつかを身体に染みこませて覚えさえすれば、2、30分におよぶ長尺の「段もの」でも澱みなく一席読み切ることができるのである。
とまれ、この『民謡鉄砲節』の大ヒットによって「鉄砲節」は河内音頭の代名詞となり、従来の「櫓」を離れ、「劇場」「寄席」へと進出してゆく道を拓いた。出世間からみれば「鉄砲節」は大きな成功を収めたわけだが、ここに陥穽があったのもまた事実だろう。主戦場を「野外」から「室内」に移したことによって、河内音頭に本源的備わっていた「野趣」がなくなり、フォークロアのもつ「多様性」が消え去った。これはちょうど、森鴎外らがおこなった中世説経を近代小説に置き換える作業に酷似していないか。そして、「鉄砲節」最大の禍根は商業的成功による劇場進出で「踊りの輪」という音頭を音頭たらしめる磁場を喪ったことに求められれよう。「鉄砲節」はヒットという音楽産業の論理に回収され、大衆と交感する「身体」の回路を固く閉ざしてしまったのである。
さてこのへんで本作の主役・鉄砲博三郎師に話を戻そうか。博三郎師と光三郎は従兄弟関係である。二人とも青年期に初音家の門を叩き、そこで多くの薫陶を受け、修行に励んだことも一致している。そして、博三郎師も光三郎同様に「鉄砲節」を操るのである。だが「志は一つ、ゆく道は同じからず」、博三郎師は「鉄砲節」の劇場進出を横目で見ながら「櫓」をけっして離れることはなかった。そこには音頭取りの矜持と共に、櫓の下には多くの財が埋まっていることを熟知してたからにちがいない。光三郎の音頭が「聴かせる」「見せる」ことに主眼を置いたものなら、博三郎師のそれは「踊らす」音頭だ。博三郎師本人に聞こう。

 いまの河内音頭の踊りはマンボ踊りが主流です。跳ねる踊りやな。マメカチいう昔ながらの踊りがあってそれを土台にして若い踊り子さんらが新しく始めたんがマンボ踊りやな。昭和四〇年代の終わり頃やったかな、景気がいちばんいい頃に大阪駅前で十何年つづいたおっきな盆踊りがありましてな。大阪駅前やからな、場所柄、大阪中の上手い踊り子さんらが仰山寄って来るんやね。マンボ踊りは各地の上手な踊り子さんらが競争的に始めて、それが大阪市から河内全体にだんだんと広がって流行っていったもんなんですわ。踊り子が皆上手やからね。そらぁもう、飛び上がって踊ってたからな。音頭取りがゆっくりとろい音頭取ったら嫌がって踊ってくれへんからね。こっちも乗せんといかんからのんびりとかまえてられん、音頭のテンポをどんどん上げていくわけですわな。まぁ、言うたら踊り子さんらの要求に音頭取りが応えてそれでだんだんマンボなっていったんですわ。昔の音頭いうたらもうゆっくりしたおとなしいもんでしたからな。それをもうひとつ変えたんがマンボやった。(本作所収「 鉄炮博三郎メモワール 音頭師一代」より)

そう、鉄炮光三郎の音頭がジャズなら、鉄砲博三郎の音頭はさしずめラテン音楽だ。ジャズは世界を席巻して20世紀最大の芸術にまで一気に階段を駆け上がったが、ラテンはけっして「踊りの場」を手放さなかっただろう。そこから自然に音楽が湧き上がることを熟知していたからだ。本作はスタジオ録音だが、鉄砲博三郎一代かぎりの「マンボ鉄砲節」の真髄が凝縮されてると言っていい。伴奏陣は、往年の宮川左近ショウの名曲師であり『民謡鉄砲節』のイントロを手掛けた暁照夫師、初音家四代目宗家・初音家秀若師(両師とも故人だ!)を筆頭に初音家ゆかりの人々と、わがオフノートオールスターズの同時代合作のオンドミリタリズムである。そして、われらがオンドシンジケートの頂点に立ち、「踊れ、踊れ! 」と号令するものこそ、音頭師(オンドミニスター)・鉄炮博三郎その人なのである。 2018.8.18

音頭師/ 鉄砲博三郎
 (MISORA / ONDO NOW MRON-3002)
半年前の旧稿です。いま手元にはアルバム一枚分の鉄砲博三郎師未発表音源がある。この舞台音頭「ケレン詠み」のベーシックトラックは永年手つかずのまま、ずっと眠らせてきたものだ。博三郎師は今年で御齢90。よし、今年こそはこの音源を仕上げよう。地元河内勢&オフノート精鋭合作によるわれらがオンドシンジケートを復活させたい。大衆藝能最深部の鼓動をづたたび喚び起こし、森羅万象を励起しながらいまを揺らし踊らすのだ。そしてその指揮官はかならず音頭師・鉄砲博三郎師、その人であらねばならない。 2019.2.13


記忘記 note/off note 2019-02-12



美空ひばりの跫

昨日『SP巷談 二〇世紀之大衆藝能』(高円寺円盤)第五〇回、無事終了。友人・沖内辰郎さんがバンド仲間のお二人を同道してくれて、終始和気あいあいとした雰囲気に包まれる。当夜は昭和26(1951)・27(1952)年のSPを聴く。浅草紅香『パチンコ節』オブラートなしでそのものズバリの戦後的艶笑小唄に笑い、三木鶏郎『僕は特急の機関士で』時代のスピードより一足速い快速調にやられたが、やはり白眉は美空ひばりというべきだろう。ひばりはこの頃、まだ齢一四か一五だったはずだが、完全に少女歌手の域を超えている。1952年3月『リンゴ追分』、6月『お祭りマンボ』だからね、振幅が恐ろしいほど大きい。たった3ヶ月の間に民族的情感をひたすら深化させ、地声と裏声を自在に使い分けて地球を手玉に取ってコロコロ転がすなんて芸当ができるのは化け物だ。凄い!の一言に尽きる。おそらくSPレコードが幕を閉じる最期の瞬間まで、歌姫・美空ひばりの成長過程を記録することがこのメデイアの大きな役割の一つろなったのではないかというのが愚見。ともあれ、およそ八年を要してようやく五〇回。さらに一〇〇回目指して一回ずつ会を重ねてゆく所存。これからもよろしくお願いいたします!

記忘記 note/off note 2019-02-12


かつてエミグラントという音と言葉をめぐる冒険があった。それを知るものは、何人かの当事者たちとそこに居合わせた数えるほどのひとたちだけだろう。だがそれでいい、この音楽は現象面では刹那刹那にあらわれたりきえたりする「因果交流電燈のひとつの青い照明(ひかりはたもち その電燈は失はれ)」なのだから。またどこかでひかるかもしれぬし、出逢えるかもしれぬ。ただ、ここに収めた原初の言葉と音の一群「夢の隊列」は生滅を繰り返しくり返しながら転回し展開しつづけるのだ……。 2019.2.12

MEMO 未生音 2018

2001年、オキナワでおこなった二日間のライブの模様を収めた作品。ここに集結したジャンルも世代も拠点も異なる5人のエミグラントたち。思えばこれほど不思議な集いもないだろう。渡辺勝は東京から、川下直広は福岡から、船戸博史は京都からやって来て、そこに地元オキナワの城間和広が合流し、それまで一所不在だった伝説の音楽家・國仲勝男まで加わったのである(なんて非効率なんだ!)。ゆえに、この編成はけっして「バンド」とは呼べない、一個の音楽家の集合なのだとおもう。ならば、一夜かぎりのジャムセッションか、と問われれば、それにもまた素直に頷くことができない。なぜなら、当の音楽に意志が宿り、カタチを変えながらもエミグラントたちの「夢の隊列」は熄まずに延々とつづくことになるのだから。だが、ここで肝心なのは「容れもの」ではなく、「中身」の音楽であるはずだ。わたしはかつて、本編の主役・渡辺勝の紡ぐコトバのありようと、ここで実現した音楽の連関性についてこう綴った。

 ことばとコトバを繋ぐもの。彼の詞にはいつも何かが足りない。ことばはコトバへ至る中間でいつも宙吊りのままだ。コトバの領域。意味を超えた場所。其処こそ彼が紡ぐ詞が渇仰する「響和国」だ。ことばたちはきっと安住の地に辿り着きたくて幾度も飛越を繰り返すが、ずっと向こう。それでことばたちはいつも宙吊りのまま歪な格好を強いられ、アクロバットな様相を呈するのである。
 「響和国」にいとも容易く辿り着ける空想の翼。それが音楽である。今度の楽旅は彼のことばに宙天を自在に飛び廻れる空想の翼を与えたのだろうか。夢の隊列。ことばは連なりながら一目散にあの場所へと向かう。そう、なつかしいあの場所へ。そうだ、オトとコトバが響き合うモノガタリへと昇華しながら。
(ライナーより一部抜粋)

そう、ここで最も重要なことは云うまでもなく、個々の邂逅を超えた「コトバ」と「オト」の出会いであったのである。「未生音=未だ生まれざる音」という発語には、未來に向かって獲得される「音」というより、原初の記憶の底にある言葉ならざる「言霊」や「響き」が多分に含意されているはずだ。「コトバ」と「オト」が異化しながら提示される大きな時間「時の刻」。それこそ、わたしたちが最もあらわしたかったことにちがいない。だとしたら、音楽はけっして終らない。生まれるべきときを待って、夢幻の裡に形ならざるカタチの変転を繰り返し繰り返しているのかもしれぬ。 2018.1.24


記忘記 note/off note 2019-02-10


半年前の拙稿。うーん。末尾「わたしたちはまだあきらめていない、自然と生きもの(幽霊をも含む)とが共生するホテルのウチソトを流れる音楽やら星々と交信する発信装置、「地球を鳴らす」ことをである」。究極の夢だな。が、いつか実現できるだろう。 2019.2.10 

MEMO 桃源楽 2018

本作は沖縄珠玉の旋律をあつめた器楽集である。
ブライアン・イーノ氏は自ら提唱したアンビエントミュージック(環境音楽)について「聴き流してもいいし、耳を傾ければより一層興味深い音楽」と解説していたが、我が裡なる無頼庵猪野は「てやんでぇ、御託並べやがって。BGMの効能書きを気取って小難しく言廻してるだけじゃねぇか」と悪態を吐きながらも、制作者の端くれとしては「環境音楽」のコンセプトにはつよく惹かれていたのである。空港という交通要衝ターミナルでのプレゼンツが企図された『Music for Airport』や、架空映画のサウンドトラック『Music for Films』等、予め聴衆を前提としない、実用 / 非実用音楽は大きな指標となったのである。
実際にこのころ、関島岳郎さん(本作プロデューサー)とよく架空の南国ホテルを想定した環境音楽のアイデアについて語り合ったりしたものだ。わたしたちの構想は夢想であるがゆえに壮大だったから即座に実行に移されることはなかったけれども。そんなある日、沖縄那覇の繁華街・国際通りを訪れて軒を連ねる郷土物産店から流れてくる雑多な沖縄音楽を聴くともなしに聴きながらあるいていたとき。急に閃いた、「そうだ、スーベニアミュージック。土産もの屋さんでプロモートされる音楽を作ったらどうか」と。
わたしたちアジア人にとって、イーノ氏の環境音楽は常に指標たり得るけれども、その発想地点はあまりに西洋に偏りすぎているように感じられる。「環境」を称しながら人々の気配や場の匂いをすっかり殺菌消毒してしまった無味乾燥空間に人(死者をも含む)と自然の共生、共感はあるだろうか。わたしたちの環境音楽はまずアジア的渾沌から出発して、真の「多様性の調和」に到らなければならない、そう愚考したのである。
この企画を実行にうつすにあたり、サウンドプロデュースを任せるなら関島岳郎この人をおいて他にない、これは自ずと決まっていた。それから次に、吉育というブルースハープ奏者に白羽の矢を立てたのである。吉育さんは生粋の京都人、沖縄には縁もゆかりもなかっただろう。だからいい。沖縄とその音楽について、まったく白紙であるからこそ、「スケッチ・ズオブ・オキナワ」大きな絵を描けるのだから。実際、吉育さんはブルースハープという小さな楽器ひとつを操って、島宇宙と見事に交信し、非体系の体系を有する沖縄の旋律とよく遊んでくれたとおもう。とってもいい感じだから、ぜひ聴いてほしい。
わたしたちはまだあきらめていない、自然と生きもの(幽霊をも含む)とが共生するホテルのウチソトを流れる音楽やら星々と交信する発信装置、「地球を鳴らす」ことをである。 2018.8.24


記忘記 note/off note 2019-02-09


日々の泡

明け方からの雪もやんだようだし、今日も「大工哲弘ライブ」(橋本まやぁぐすく)に出かけよう。昨晩はいい宵だった。大工哲弘が八重山謡を現在と未来へ伝えるメディア、物語装置として捉えていることがよくわかった。身体こそ究極の拠点。ならばおれも想いを込めたCDを担いでどこまでも行こう。 2019.2.9

記忘記 note/off note 2019-02-08





今朝、大好きな漫画家・うらたじゅんさんの訃報を届けて下さったのは音楽家・桂牧さんだったが、一年半前に二人についてこんな文章を綴っていたのか。気持ちがすこし落ち着いたら牧さんと二人で「献杯」しよう。 2019.2.8

冬のプラネタリウムとBGM

2017年9月3日
本日、漫画家・うらたじゅんさんより『BGN / 桂牧』(off note / DIGITALIS RECORDS DIGIT-3)のご予約注文をいただきました。どうもありがとうございます!

うらたさんと牧さんは古くからの知り合い。うらたさんの作品集『冬のプラネタリウム』(北冬書房 2015年)の巻末には「60〜70年代音楽シーンを語る」と題する著者インタビューが収録されていて、そのなかでも牧さんとの交流についてもふれられていた。ちなみにこの私的回想は、70年代前後の「オルタナティブ京都」の自由な風の記憶が行間から生々しくつたわってきて読み応えがあり、同時代の「証言」としてもきわめて貴重なものだ。思うに80年から90年代の10数年を京都の一角で同じ空気を吸い、その後はそれぞれ別の道を歩んだ二人だが、たがいの表現にある共通点を見る。『冬のプラネタリウム』でうらたじゅんが描出した珠玉のアンビエントストーリー、その一コマ一コマにキオクの断片、刹那の映像が無数の宝石のように散りばめられていて、そのカケラの一つひとつが発光しながら「ものがたり」の在処を照らしてくれるが、桂牧『BGN』もまた、音楽作品というフォームのなかで音とオトが絶えず「対話」や「衝突」や「融合」を繰り返しながらキオクの底にねむる無意識のドラマを喚起してやまないのである。二人とも風景や佇まいの向こうに「アナザーグリーンワールド」もう一つの景色を見ているのだな。ああ、うらたさんと牧さん、3人で酒呑んで話たくなった。


記忘記 note/off note 2019-02-08



日々の泡

音楽家・桂牧さんより漫画家・うらたじゅんさん逝去の報。昨晩、入院先の病院で息を引き取られたという。いまは語る言葉なし。ただ、心よりご冥福をお祈りするのみ。 2019.2.8

記忘記 note/off note 2019-02-08



[風来ノート I ] 
つげ忠男×中里和人 二人展
初原の風景 ー光と闇の間に浮かぶもの

1968年の『ガロ』デビュー以来、劇画表現に新たな地平を切り拓いてきた孤高の劇画家・つげ忠男と、風景の裏側に隠された闇の深層をひたすら凝視し印画紙に定着しつづけてきた異界の写真家・中里和人による、初の二人展を開催します。無頼の群像が闊歩する市井陋巷を導入部に、都市周縁にひろがる「湾岸原野」「河川敷まぼろし」へと、風景の境界に岐け入るワンダーランドを画と写真でお楽しみください。

2019年3月9日(土)〜19日(火)12:00-19:00 会期中無休

ANEWAL Gallery 現代美術製作所 
京都市上京区挽木町518

主催:風来画房、off note
 共催:現代美術製作所
協力:NPO ANEWAL Gallery

【関連イベント】
つげ忠男×中里和人 サイン会 
3月9日(土)13:00〜17:00 
3月10日(日)13:00〜16:00 
参加費無料

つげ忠男×中里和人 トークイベント「風景の境界」
3月9日(土)18:00〜
参加費1500円

両日とも同ギャラリーにて

お問い合わせ:現代美術製作所(曽我) 
caf@anewal.net / 070-5013-3820
その他Facebookでも情報配信中!

【プロフィール】
つげ忠男(つげ・ただお) 劇画家。1941年、東京に生まれる。中学卒業後、葛飾の採血会社に勤務。1960年頃から実兄・つげ義春の影響をうけ貸本マンガに短編を発表。61〜67年まで6年間の沈黙の時期を経て、1968年『ガロ』で再デビュー。以来、次々と問題作を発表して大きな注目を集める。1970年代は『夜行』、1980年代は『COMIC ばく』を主な発表の場として作品を発表。1990年代は主にエッセイと絵を多く手掛け各誌に発表。1995年、代表作「無頼平野」が石井輝男監督によって映画化。2000年、ワイズ出版より長編「舟に棲む」刊行。2016年、最新作「成り行き」が「なりゆきな魂、」(瀬々敬久監督)として映画化され話題となる。作品集多数(北冬書房・ワイズ出版等)。近年、カナダ・イタリア・アメリカ、フランス等海外での作品出版も活発になる。現在、待望の長編連載「昭和まぼろし 忘れがたきヤツたち」(ネットマガジン『Comic MeDu』執筆に奮闘中。

中里和人(なかざとかつひと)
1956年、三重県生まれ。写真家。東京造形大学教授。
日本各地の地誌的ドキュメントを中心に、小屋、路地など身体的スケールから見える、日本の社会的ランドスケープや夜景作品などを発表。越後妻有アートトリエンナー 2012&
2015を始め各地のアートイベントに参加し、地域性を読み込んだインスタレーション作品や写真ワークショップなどを多数行う。つげ忠男作品「曼荼羅華綺譚」(北冬書房)では忠男氏と対談を行う。写真集に「湾岸原野」「キリコの街」「小屋の肖像」「東亰」「路地」「R」
「ULTRA」「lux」「Night in Earth」などがある。さがみはら写真新人奨励賞、写真の会賞受賞。  http://www.nakazato.info


記忘記 note/off note 2019-02-08


そうだ、本作ジャケットはつげ忠男さんが若かりし頃に勤めていた製薬会社(とは名ばかりの血液銀行)近くで撮られたものだ(撮影は桑本正士さん)。「丘の上でヴィンセント・ヴァン・ゴッホは」「どぶ街」「屑の市」等、綺羅星のごときつげ忠男70年代の名作の数々がこの界隈を舞台に生まれた。船戸さんにとってははじめて訪れた見知らぬ街だろうけど、この人はどこにいてもすぐに風景の中に自分を溶け込ますことができる。音楽の中を自在に泳ぎ廻れる真の自由人だ。今日も船戸さんは京都の町屋と町屋の間を辻から辻へ、自転車に乗って疾駆しているだろうか。マージナルマン・船戸博史! 2019.2.8

MEMO LOW FISH 2018

 ここ数日、 定期検診に通っている病院で風邪を染されたらしく、すっかり体調を崩してしまった。それで本作の成立事情が記憶の底から蘇ってきたのだから可笑しい。2004年2月、わたしたちは小暮はなの第一作(『鳥になる日』off note / on-51)を制作するために京都に向かった。東山を望む南禅寺にほど近い町屋を二棟借りて録音&合宿を敢行しようという目論み。が、録音当日、主役である小暮はなちゃんが初録音の緊張からか風邪を拗らせてまるで声が出ないありさま。当日の録音を仕方なくあきらめ、自宅で養生してもらうことにする。手持ち無沙汰のわたしたちはほどなく酒盛りを始めた。すると、どこからか聞きつけたのか、京都の仲間たちが一人また一人とやって来る、船戸博史さんもやって来た。その中には亡くなったひがしのひとしさんも薄花葉っぱのメンバーもいたと思う。体調不良で自宅療養のはずのはなちゃんまで途中参加したのだから何をか言わんや。「ま、それにしてもはなちゃんの声が明日から急に戻るわけでもなし。これからどうしようか?」と誰か。「ならば、船戸さん、アナタのソロでも録音しちゃどうだ?」と冗談交じりにわたし。すると、関島岳郎さん(『鳥になる日』プロデューサー)もエンジニア・石崎信郎さんも「そいつはいい、やろうやろう」とけしかけ、居合わせた一堂も「やれ、やれ」と囃し立てる。船戸さんも照れながら満更でもないご様子。そんなふうに「瓢箪から駒」(冗談から駒?)が出てきてはじまったのが本作。怪我ならぬ風邪の功名だね。それでも翌日には実際に録音が始まったのだからすごい。関島さんは本作のために「東山」という重厚な名曲を一晩で書き上げてくれたし、船戸さんもあたためていた作品を何曲か持参して初リーダー作にやる気を示してくれた。それにしても船戸博史の身軽さよ。コントラバスという家具のように重たくてでっかい楽器を小脇に抱えて京都の町の筋から筋を曲芸師よろしく自転車に乗ってきたもんだ。その姿を見てオレは思ったね、この人は正真正銘の自由人だな、と。コントラバス一つ、身ひとつで世界と異界を跨ぐマージナルマン・船戸博史。
 2018.2.21 神谷一義(オフノート)


ページトップへ