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記忘記 note/off note 2021-03-03

寄贈三巻


知人・中村ゑみ子さんより新刊『游魚NO.8』をご寄贈いただきました。どうもありがとうございます。本誌は惹句に「言葉とヴィジュアルの交差」とある通り、文学と美術の接点を多層的に模索する誌面になっていて毎号興味深く拝見しております。個人的には20代のころお世話になった異端の国文学者・松田修先生の遺稿と資料で構成された「松田修コレクション」と恩師・松田修先生と亡夫・中込重明さんとの交流・思い出を綴った中村ゑみ子「根の国に送る」二つの連載に注目し毎号楽しみにしてきました。中村さんの連載は今号が最終回とのこと、謹んで拝読させていただきます。


友人のデザイナー・田中芳秀さんよりご自身が装丁を手掛けた細田成嗣著『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社)をご寄贈いただきました。遅ればせながらどうもありがとうざいます。没後50年のアイラーが私たちに語りかけるものはきっと多いはず。 この巨大なゴーストとじっくり語り合いたいと思います。


青林工藝舎・手塚能理子さんより畏友・上野茂都さんの新刊『個展物語』を寄贈いただきました。どうもありがとうございます。本書は全編語りおろし。上野節・語りの妙味をたっぷり堪能させていただきます。

記忘記 note/off note 2021-02-17


零度のマルチチュード

昨夕買物帰りに町内にたった一軒だけ残っている銭湯の前を通り過ぎてふと思ったこと。昔当たり前だったものが当たり前ではなくなって従来の大衆性とか共同性が喪失してゆく。共同浴場が感染予防学的に適当か否かは措き軀と軀が触れ合う相対の場の消滅はやはり寂しい。いまあらたな共同性の創出こそを。

パンデミックが地球という生命体・万物生成の場を手前勝手に改作し歪める人間界に対する自然界からの警告だとしてもヒトは最早習い性になった増上慢・自分本位を革めることができない。男と女・国と国・心と身体・人と環境・人とひとの間の差別は依然として存在しつづける。いつになれば気づくのか。

記忘記 note/off note 2021-02-14

被害に遭われた皆様へ

昨晩の地震で被害に遭われた全ての皆様に心よりお見舞い申し上げます。甚大な蟻害を被った福島・宮城周辺の方々のご健康とご無事をお祈りいたします。余震・二次被害にはくれぐれもお気をつけくださいますよう。打ちつづく障害を力強く乗り越えて動乱の同時代を共々に生きて生き抜いてまいりましょう。

記忘記 note/off note 2021-02-12


茶番・国政爺合戦

世論に押されて森喜朗が辞任し後任を刎頸の友川淵三郎が努める意向だという。またしても「密談」の決定を既定事実として報じるお定まりの詐術か。世界の世論が動かねば密室謀議もいつものようにスルーされてただのろうな。外からの視線が自浄不能なこの国の精神的鎖国のありようを丸裸にして映し出す。

オヤジ意識丸出しの森発言は断罪されて然るべきだが最初は同調しながら即座に手のひらを返すIOCの卑劣さが免罪されていいはずがない。そもそもIOCは性・人種差別と一度でもまともに戦ったことがあるか。スポンサーの顔色を伺って手のひらをクルクル回すだけの拝金主義。五輪マークはカタチ通りのゼニの表象か。

森後任も「密室」で決定かと思っていたら政府の横槍で白紙状態。そもそもこの御仁が総理になった行く立ても密室だったっけ。それにしても現政権。現役だけあってさすがに面の皮が一枚厚い。密談・密議・密謀の「3蜜」専門店・どの口が言うのか。目クソと鼻クソのつばぜり合いは国際世論の物笑いの種。我利我利亡者のオヤジどもがよっちゃばって現代版国政爺合戦の茶番劇かよ。恥を知れ。

記忘記 note/off note 2021-02-07


男らしいってわかるかい

「女性」全般が「男性」中心社会に抑圧されてきたのは有史以来まぎれもない事実だが、「男性」の中にも差別や抑圧はある。個人的体験で言えば、幼少期からの「男らしくしろ」という規範の強制は女性のそれに等しく大きな抑圧であり苦痛以外ではなかった。女も男も正面の敵を見誤ってはならない。真の敵は変態的マッチョイズム(オヤジイズムというべきか)を社会全体に醸成するべく、乾涸びた「規範」を日々再生産し垂れ流す腐敗した構造的「オヤジ社会」だろう。臭いにおいは元から絶たなきゃダメだ。

記忘記 note/off note 2021-02-06

男と女の間

森喜朗五輪対策組織委員長が自らの女性差別発言を、メディア報道に責任転嫁(八つ当たり)するのは笑止千万だ。たしかにこの国のメデイアは火のないところに煙をたて、散々騒いでから火消しに回るタチの悪いマッチポンプ&オイル(放火魔の手口)だけれども、自ら撒いた舌禍の罪をなすりつけていいはずがない。そもそもこの国では国民が知るべき情報がなんら公開されず、大事なことは全て密室で決められててゆくことに問題があるのだ。「性差」のありようとともに、「情報公開」の原則に逆行した秘匿とリークのありようこそ国際問題化されねばならぬ。

森「性差」発言の根っこにあるのはこの国が男女の別なくオヤジ社会だということだ。都知事にしろ自民女性議員にしろ発言してる間に髭が生えてきそうな堂々としたオヤジぶりだ。政治的属性を欠いた二階のうす汚い古狸が公然と権力を牛耳る暗愚でいびつな社会。一刻も早くオヤジ政治と訣別せねばならぬ。

小池百合子が国政での頭打ちを「ガラスの天井」になぞらえて振り返ってたが錯覚だろう。そもそもこの国の天井はガラスではなく鋼鉄製だ。見上げても空など見えやしない。都政でオヤジのように振る舞うことが性差の消滅か。パピプペパピプペパピプペポ「ウチの女房にゃ髭がある」ってさ。いくら女に髭が生えても男と女の間の深い溝は埋まるまい。

追記:なんだか私自身の発言も性差別すれすれだな。が、「性差」は無化するのではなくたがいの属性を尊重し合うことで新たな共同性に寄与すると信ずる。女性がオヤジ現行の社会に同化して髭を生やすことではあるまい。

記忘記 note/off note 2021-02-02

「慣れ」に慣れないこと

夜中に母が体調不良を訴えたのでタクシーを呼んで夜救急指定病院へ。タクシーに乗るのはおよそ一年ぶり。FB等で「コロナ禍、久々のにタクシー利用は新鮮だ」というような書き込みをよく目にするが、そんなことを感じる心の余裕はなかった。コロナ禍以前は生活習慣のようにタクシーを利用していたのだから、新鮮さを簡通り越してすぐに「当たり前」に記憶がリセットされてしまうのは当然か。「慣れ」とは恐ろしい。幸い、母の体調不良は一時的なもので、大事に至らずに帰宅できてホッとした。だが、想えばこの母がずっと側にいてくれることも「当たり前」になってしまっているが、「当たり前」が当たり前でなくなる日がかならずやってくるのたから、たったいまこの瞬間の「当たり前」が当たり前であることの奇跡を思う。自戒しよう。「慣れ」に慣れてはいけない、と。

記忘記 note/off note 2021-01-31


刹那即永遠の記憶の記録

この国のフォークにとって『フォークキャンプ』『フォークジャンボリー』あるいは「春一番』『ホーボーズコンサート』等のライブ音源は同時代の大切な記憶の記録だ。いま都市の基底を流動しながら生々流転するフォークロアの態様を丹念にノートしたい。それこそが今後やるべきオフノートの仕事となるだろう。

最近購入したCDをPCに取り込もうとするもなぜか最終曲だけエラーする。通常のプレイヤーではかかるのに。乏しい知識とネット情報を総動員して何度も取り組むがどうにもならず時間ばかりを徒らに浪費する。瑣末に拘泥する愚かさよ。慌てて現在を過去にすることはない。気を取り直してドヴォルザークを聴く。

風のパーカッショニスト・風巻隆さんに新作となる音源をお送りいただきメールで意見交換。池袋のジャズ酒場で会えば隣り合わせて少しずつ語り合う間柄。メール文ではじめて同じ道を辿ってきたことを覚る。自らを物語る言葉一つひとつが音楽同様ゆっくり深く染み込んでくる。性急に友達にならずによかった。

記忘記 note/off note 2021-01-28-29

躍るピエロ

蓮舫が苦手だ。人の粗をあげつらうときの得意げな態度に反吐が出る。上から目線。首相の無能さ・発信力のなさはその通りだとしてもそれを言挙げして足れりとする姿は擬態でしかない。純朴な地方人を卑しめる傲慢な都会人の構図に見えてしまうことに即刻気づいた方がいい。いまさら無理だろけどね。1.28

上着の襟を立てて得意げに永田町の腐れオヤジどもに言いつのる演出過剰で自己顕示欲丸出しの大見得切った猿芝居は醜悪以外ではない。言挙げや揚げ足取りが自己目的化してしまって政治本来の役まわりを忘失した滑稽なピエロ。二番じゃダメなんですか?ダメだろうね。これじゃ永久に政権を奪取できまい。1.29

記忘記 note/off note 2021-01-24

東京を生きる

昨日も東京の感染者数は1000を超え相変わらず高止まりのままだ。むろんこの数字は超過密な東京という都市ののっぴきならない飽和状態を示しているだろう。カシーバーが1992年におこなったたった一回かぎりの東京公演の記録に何気なくした「LIVE IN TOKYO」の命名が現在ではさらに重みを増す。カシーバーの音楽の劇薬的異化作用は東京というおめでたい祝祭空間の皮を剥ぎ牢獄社会でしかない本質を露わにするが「東京に生きる」あるいは「東京を生きる」ことはさらに内側から鋭く問われねばならぬ。カシーバー=牢獄と外界の秘密交信。牢獄に住んでなおできることはある。そうだ。今度は私たちの側から発信せねばならぬ。2021.1.24

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