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記忘記 note/off note 2021-07-23

ブタ箱とどこでもドア

2020.18.17年「今日」のつぶやきを遡行して無作為には浮かび上がるものは「震災」より10年間の頽廃と現政権に対する激しい「異和」である。この国の「頽廃」の10年間の総決算が、明日から開催される「民意」なき大衆不在の無観客五輪なのだということをいまもこの先も心に留めておいていい。「復興五輪」が被災地の復興に寄与するものではなかったことは現在の諸矛盾と分断が如実に物語るが、この謂いがハナから「復興のための五輪」などではなく、夢よもう一度「五輪を復興する」自乗目的的「神風」待望に眼目があったのだから当然の帰結といえようか。とまれ、この極度の閉鎖社会では「嘔吐」することしかアンガージュ(社会参加)できないことは民衆にとって大きな不幸だが、「トイレ」も「出口」もないブタ箱に拘禁されて「住めば都」と心得、慣れてしまうのはさらに不幸なことにちがいない。いま言えることは、身体と精神にに害するものはすべて吐き尽くして、もう一度、健康と活力をこの社会全体に取り戻すこと、これしかないだろう。2021.7.21

本日より「Go To」開始。国は「出かけよう」と言い、都は「自粛」を呼びかける。このような政治の二枚舌は大衆にとっての迷惑であり現在の不幸である。壮士演歌『ダイナマイト節』のひとくさり。「国利民福増進して民力休養せ/もしも成らなきゃ……ダイナマイト、どん!」2020.7.21

Go To」連日の無惨なドタバタ劇は現政権の著しい求心力の低下を物語る。やる気も能力もないならさっさとやめるがいいのだ。強盗トラブル。最近はアナウンサーまでトラブルと故意に舌を噛んでるな。そりゃそうだろ。およそ8年も強盗被害に曝されつづけたのが庶民の実感だ。2021.7.22

原田依幸さんは20歳でピアニストを志した。当初はピアノを拳で弾いてた(叩く?)らしい。それを見てた盟友・梅津和時さんに「折角指が十本あるんだから指でも弾いちゃどうだ?」と言われて改めたという。拳じゃドラえもん奏法だがそれでどこでもドアの痕跡が残ってるのだな。2020.7.22

竹中労アナキズム原理の根底には無頼の作家・坂口安吾が居るのはまぎれもない。「堕落論」は敗戦後の焦土で天皇制の欺罔を鮮やかに暴いてみせた。文学を政治より優位において馴れ合うことを拒絶した。安吾の文学は「子供の悲しみ」に依拠したがゆえに大人たちの政治の虚妄をひたすら弾劾していまも熄まないのである。 2018.7.22

劇場型政治もここまでくると最早、怒りを通り越して笑うしかないな。松竹新喜劇ならぬあべの新喜劇。演目も豊富だよ。「大臣はんと役人どん」もあれば「ねらわれた学園」も「安倍一族とこういう人たち」もあるぞ。アベ座長筆頭に、スガ世話役が太鼓叩いて〝THIS〟の揃い踏み。そこに内閣官房室の大部屋たちが脇を固める強力布陣。最近では山本なるダイコンまで飛び入りしてわややがなもう…。2017.7.22

どうでもいいけど、アベのいちまきは〝こういう人たち〟を「監視」することばっかり考えてるクセに〝こういう人たち〟に「監視」されてる自覚はまるでないんだな。不思議な精神構造だ。サウイフモノニワタシハナリタクナイ。2017.7.22

アベに〝こういう人たち〟と呼ばれるのは最高の栄誉である。2017.7.22

記忘記 note/off note 2021-07-20

液状国家2020→21

昨年「今日」の愚かなつぶやき5つ。昨年「Go To」の終着駅(執着駅?)が明々後日からはじまる「東京五輪」(東京液下車)だったことがいまさらながら興味深い。この国の経済体質は悉く一発逆転「イベント」(という名の丁半博打)だのみ、景気回復のカンフル剤を打ちつづけないと一刻も耐えられない中毒性の病理に蝕まれてしまっただろう。小商いや内職やでつましく生計を立てる家庭内、「お父ちゃん、やめて!」おんな子供が悲鳴をあげる中、卓袱台ひっくり返してあり金一切巻き上げ、「一発勝負」の博打に打ち興じるギャンブル依存症のオヤジの姿がありありと浮かび上がる。オヤジ社会、まさにここに極まれり。「不真面目なんだよ、まったく」義憤に駆られてまともに説教垂れても何も変わりゃしない。「バクチもたいがいにしないとその内、愛想尽かされてオン出されるよ」と捨て台詞ひとつ。「そうなりゃ無宿国家か、かっこいい。それにしたって、女房子ども元手のバクチはスリルがあって堪えられねえ」。未だに馬鹿に効く特効薬なし。ならばせめて、バカが伝染っても重症化を防ぐ国内ワクチンの即刻開発を。2021.7.20

昔、「新宿港町」という歌があっただろう。新宿が人とひとが行き交う人間の交差点であり文化の交易所である事情はパンデミックの動線がクラスターからエピセンターへと移行する今日も変わらない。どの時代にも「過度」そのものを体現する新宿の街を愛す。夢と現の間に浮かぶ街。

「Go To トラベル」はパンデミックの動線をクラスターがそのまま辿る旅にほかならぬ。ディスカバー・エピセンターとか。いずれも冒険旅行であることに変わらないなら期せずして与えられた人生のショートブレイクは自らの内面にトリップした方がよほど有意義だと思うが如何。

「Go To トラブル」とはこのことよ。勝手にキャンペーンを前倒したら非難轟々、慌てて東京だけ除外するもキャンセル料どうする?朝令暮改・失策に次ぐ失策で馬鹿はどれだけ血税をドブに捨てれば気がすむのか?誰か一刻も早く馬鹿のクラスターにつける特効薬を開発してくれ。

以前から現政権を馬鹿のクラスターと規定していたが事態はさらに深刻で馬鹿はエピセンター化してるというのがおれの見立てだ。馬鹿は世間の空気は読めないくせに空気感染するから性質が悪い。馬鹿がふりまく大衆操作の「空気」には危険なウィルスが多量に含まれてるからご用心。

いくら都合よく数値を操作し「楽観」を演出しようが所詮は虚構。虚構が現実に食い破られ乗り越えられてしまうのは自明だろう。「楽観論」は大勢操作の罠。まともにものを考え行動することを妨げる。目前の現実を直視せず目を逸らしてどうしてその向こうの未来を獲得できよう。

2020.7.20

記忘記 note/off note 2021-07-18


東京汚穢から江戸市井へ

池波正太郎著『剣客商売』全16巻+番外等計21冊を格安ゲット。週末から始まる東京五輪の憂鬱を解消する必携アイテムとして。この国の為政者たちや五輪貴族どもが頑なに「民意」に背を向けるなら感染渦巻く現実の東京に目を瞑り幻影の江戸を瞼に思い描くのもいいだろう。忘れ去られた日本人を思い出すために。

記忘記 note/off note 2021-07-17

東京物流エピセンター

昨年「今日」の愚かなつぶやき4つをコピペ。人命が「モノ」としか取り扱われない事態はこの一年でさらに深刻の度合いを深めただろう。この期におよんで「有観客か無観客か」という不毛な議論(即刻中止にするべし!)は、大衆の生命がこの国ではついに函数でしかないことを如実に物語る。「モノ」に意識はないのだから「民意」というものが予め存在しないのは当然だとしても、この議論はちと酷すぎる。観客は五輪を彩るディスプレイ(宣伝効果)としか看做されてないのだから。私たちの命はパッケージされ、何個口かに仕分けられ、宅急便みたようにどこかに運ばれてゆく。「コワレモノ」の表記もなく「宛先」も不明のまま何処かへ。テキヤの競り唄「バナちゃん」は台湾から九州に荷揚げされるバナナの「道行き」を歌ったものだが、箱詰めにされ缶詰・瓶詰にされた私たちの地獄の道行きは一片の唄(バラッド)になるだろうか。民意を捨象した「平和の祭典」とやらを一週間後に控え、なぜかデスペレートな土曜の朝。2021.7.17

子供の頃「一人の生命は地球より重い」とおそわった。むろんこれは大人のタテマエで実際は一人の生命が一個の「モノ」でしかなくカネに換算され得るものであることは子供心にも勘づいていた。が、いつからタテマエすら消えてホンネを平気で口にする破廉恥な社会になったのだろう。2020.7.17

一つの生命を多様な可能性の顕現として認めず「モノ」としか見做せない為政者の惨心を唾棄する。「生産性」とか「経済性」というもの言いに「富国強兵」の権力意志はいまも鮮やかに貫徹される。民の生命一つひとつは経済の函数ではない。人前で平気で金勘定する奴ァ信用できねえ。2020.7.17

マニュアル依存によってしかコミュニケ-ションできない社会に弾力性がないのは自明だがマニュアルを取り上げれば社会全体に活力が戻り各々が自主性を発揮できるかは疑問だ。30個のハンバーガーを「お召上がりですか?お持帰りですか?」と尋ねる没常識を治す特効薬を知らない。

マニュアル依存然り没常識が罷り通る社会ではタテマエ遵守はかなり重要なファクターではないのか。仮に「人権」や「民主主義」がタテマエだとしても痩せ我慢してそいつを貫き通すのがいなせってもんだろ。それをしてこそ市井の胆力よ。やっぱ俺ぁ人前で銭勘定する奴ぁ恥ずかしい。2020.7.17

川下直広さんに教えていただいた医学者・児玉龍彦氏の国会答弁に大きな衝撃を受ける。首都圏における感染局面がクラスター(塊)からエピセンター(震央)に移行しつつある現状は魂を震撼させる。東京コロナというと東京ばななの新製品みたいだが笑い事ではない。正しく恐れよ。2020.7.17

記忘記 note/off note 2021-07-13

瓦礫と死灰の中から

昨年「今日」のおろかなつぶやき」4つ。一年経っても何も変わっちゃいない、ただ、日増しに息苦しさと混迷の度合いを深めているだけだ。いまさらながらこの国がアクセル蒸したり急ブレーキ踏んだり車体をポンコツスクラップの廃車同然にした挙句、同乗者の人命をも顧みず崖っぷちを片鱗走行してまで辿り着きたかったのは10日後の東京五輪だったのだなと思わずにはいられない。アクセル&ブレーキのアクロバット的同時操作は最早お家芸だし、ハンマーを矢鱈と振り廻しながら狂一心不乱に踊りまくるミョー技はH難度を遥かに超えて判定不能だ。国滅んで五輪あり。レガシーの瓦礫と死灰の中から新たなマルチチュードは起ち上がるか。2021.7.13

野党が一つになれないのは現実政治の中に「統一」の幻想を呼びこんでは錯綜し一向に「連合」の多様性を示せないからだ。多様性を的とするいまなぜカビ臭い「統一」の一元化に固執せねばならぬのか。敵の術中にはまってるよ。「野合なぜ悪い?」と与党にも世間にも開き直ればいい。2020.7.13

「統一」指向は個々に存在するものを一つの枠組みに収斂することだから無数の小の虫を殺して大の虫一匹を生かす陰謀詭計が渦巻きあらゆる可能性の萌芽が死ぬ。「連合」でいい。ゆるやかな関係性の内に多様性の好機と香気が匂いたつ。やわらかさの中に来るべき地球社会を包みこめ。2020.7.13

景気対策の譬喩でアクセルとブレーキを同時に踏むってのがあったな。いまがそれだ。急ブレーキをかけたと思ったらいきなりアクセル全開に蒸したり同時に踏んだりさ。止まったり発車したりの連続じゃ目的地に行けないし車がイカれちまう。むろん車は社会のことだ。(日本車会党)2020.7.13

最早、アクセルとブレーキの区別がつかないなら免許は返上したほうがいい。「景気」と「安全」はクルマの両輪だがこのクルマ、後輪外れてるよ。車検(検査)ってあれほど口酸っぱくして言っただろ。安全性抜きの一輪車に乗って「GO TO キャンペーン」か。ハハ、のんきだね。2020.7.13

記忘記 note/off note 2021-07-12

自虐と被虐のバラッド

昨年「今日」のおろかなつぶやき三つ。読み返して奇妙な錯覚に陥った。というのも昨日、木下優樹菜の新たな恋愛報道が報じられるのを目にしたばかりだからだ。まさに十年一日、一年まえと現在の境も区切りもなく「スキャンダル」は捏造され流通される、面白おかしくばかばかしく。だが「ご飯論法」によく表象される、ばかばかしさのトートロジーの際限なきリフレインは確かに大衆の感性を鈍麻する麻薬であり中毒性に充ち満ちている(誘惑されて棄てられて)。麻薬の常用が大衆の身体を害し、健康な批評精神を損ねているのだとしたら、そいつを逆手にとって、私たちがこれから創ろうとしている新たな「トピカルソング」のリフレインくらいにはなるかもしれぬ、自虐と被虐のバラッドの。まあ、それよりもまず健康な身体と批評精神を見事なまでに弾力性を喪った活力なき社会全体に速やかに回復することが先決だが。2021.7.12

木下優樹菜復帰〜引退報道の流れは奇妙に映るが要はヤンキー姐ちゃんがイケイケ体質を剥き出しにして芸能界という虚構を突き抜けてしまったということに尽きるだろう。そんな彼女の背中に梅津和時「USED GO-GO」はよく似合う。軽いステップで踊りながら人世を押し渡れ。2020.7.12

芸能スキャンダルが報じられるたびに暗澹たる想いにさせられる。その囲い内のみで流通する規範の黙契に従わぬもの、幻想(イメージ)の共同体に人間らしい生々しさを投じたものが狩られる。虚構の「やすらぎの郷」では身体が禁忌と見える。芸能が身体を失くしてかなり久しい。2020.7.12

本来、芸能者は異界からのメッセージをつたえるマレビトだっただろう。そこには日常から彼岸への超脱が企図されていたはずだ。濁世の向こうに現れる浄土のなつかしさとあこがれ。今の芸能は全く逆だ。日常という虚構に埋没して一片の夢さえ見させてくれぬ。大衆の夢の総量を思え。2020.7.12

蛇足:2003年、アメリカのイラク侵攻に抗議して私たちが制作した『瓶の中の球体』続編のリクエストをいただくのは有難い。もし実現できるならウディガスリーの存在は欠かせない。1930年代「ダストボウル」と現在の「コロナ禍」とその後の地球社会を重ねるのは意義あることだろう。2020.7.12

おまけ:サッカー欧州選手権を伝えるテレビ音声の「観戦」が「感染」に聞こえてドキッとする。コロナ禍では観戦が感染リスクを伴うのは当然としても6万人以上がマスクなしでスタジアムへという事態は慄然とする。だが他国の事情に慄えてばかりもいられない。この国もあと10日余りで無為無策の東京五輪開幕。不謹慎ながら、どなたも五輪中にご臨終にならなければ幸い。2021.7.12

記忘記 note/off note 2021-07-09


魂の、ギターをとって弦をはれ

昨年「今日」のおろかなつぶやき(というか呪詛)に若干加筆修正。私たちを取り巻く過酷な情況は一年まえよりさらに酷く、熾烈さを究めているがならば一層、あらゆる困難と障害を薪にして魂の炎に焚べよう。高く低く唱いながら。それからおもむろに、ギターをとって弦をはれ。世界の声に共鳴するように。2021.7.9

6時5分強い揺れ。いっぺんで目が覚める。これも何かの予兆か。大規模な大雨洪水災害(被害地域の皆様には心よりお見舞い申し上げます)。打ち続くコロナ禍での経営破綻や経済苦。医療崩壊・教育現場の混乱。政治汚職。為政者よ、巷に充ち溢れる庶民大衆の悲嘆と怨嗟の声を聞け。

「震災」のときに見た悪夢。そこから逃れようと闇雲に投じた一票。待ってたのはさらなる悪夢と深い絶望と怒り。現政権はこの国のハードもソフトも滅茶苦茶にしてしまった。そう、国土も言葉も歴史も教育も人も悉く。夢を他人任せにした代償(ツケ)がこれか。やはり自分の夢を見なければダメだ。明日の夢を悪夢に変えないためにも。

この国の精神風土にこびりついた「長いものには巻かれろ」式思考が現在の一党独裁を容易にしているのはまぎれもない。長いものに縛られたら足を使え。奴隷たちの抵抗と叛乱・武闘と舞踏の分かち難きあのカポエイラのように、蝶のように舞い蜂のように刺せ。武闘がダメなら文闘がある。五体を拘束されても唇には歌があるだろう。言論が圧殺されても思考の自由は残る。「自由になろうとする自由」だけは誰にも干渉されずに魂の裡にある。魂に一点の星火があればは万波を喚び、かならず燎原を焼く。We Shall Overcome.諦めさえしなければ、わたしたちはきっと勝利するだろう。そう、屈し・負けなければ最期にかならず勝つのだ。2020.7.9

記忘記 note/off note 2021-07-08


いつか、もうすぐマザースカイ

2018年の「今日」、森田童子さん逝去の際に綴った駄文をコピペ。
3年まえの駄文を読み返しながら、先日突然もたらされた訃報・中山ラビさん逝去の悲しみが重なる(今月4日逝去)。森田さんとは一片の言葉すら交わしたことがなかったが、ラビさんとはごく薄い、あるかなきかの儚い縁を結ぶことができた。2001年に企画した浅草木馬亭でのオムニバスライブにご出演していただいたことと、2010年に逝去された藤村直樹さんの追悼ライブ(京都拾得)の際、会場脇でごく短い会話を交わしていただいた、たったそれだけだが。「会えば最高」とラビさんが歌ったように、出会い、多くの時間を共有できていたらきっと最高だったけれども、人とひとの出会いはすれちがうだけのこともあるし、すれちがいすらしないことだってある。だが、すれちがっただけのラビさんにも、出会うことができなかった森田さんにもたくさんの「贈りもの」をいただいた。そう、二人が丹精こめて愛で育てた「歌」という同時代の豊穣な記憶の果実を。

ねぇ あんたは旅空で あるんだよ 生きるには守る物が 
一人前になるだろう 過ぎた物は捨てようぜ
子供にはこういってやんな 
親父の地獄は ゆっくりと消えていく
夢がお前を育て拾えば その夢は夢で繋がっているのさ 
訳なんか聞いちゃダメなのさ 判ればきっと泣くだろう 
見つめ ため息で愛が通うのが判るんだよ…
(子供にはこういってやんな・中山ラビのうたえる)

中山ラビさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。2021.7.7

今朝、つげ忠男さんから電話。いろいろと逡巡した末、森田童子追悼集会に読む弔辞の依頼をおことわりしたという。「やはり、一度もお会いしたことがない方の弔辞というのは失礼な気がして…」「森田さんはウチの店(忠男さん経営のジーンズショップ)に来たことがあるらしいんです。それなら、一声かけてくれたらよかったのに」「そのときに一言でも言葉を交わしていたら弔辞だって書けたかもしれない」。
引退してから亡くなるまでまったく公の場に姿を現さなかった森田さんだが、二度だけ例外があるそうな。一つが1984年3月5日付『日本読書新聞』に寄稿した『 懐かしのメロディー つげ忠男劇画作品集 2』(北冬書房 1983)書評だ。いまひとつは1993年、教師と生徒の禁断の恋を描いて話題になったテレビドラマ『高校教師』の主題歌に『ぼくたちの失敗』が採用されて大ヒットしたとき。が、そのときにも森田さんがマスコミ取材に応じることは一切なかったという。(以上、サックス奏者・川下直広さんが教えてくれたネット記事から得た情報による)
…ということはだ、引退後においてご本人が意識的にメディアへ登場したのは前者「書評」のときのみということになろう。それほどまでに、森田童子はつげ忠男作品につよく惹かれていたのか。それも思いが募って店まで訪ねてしまうほど熱烈に。それにしたって、あこがれの作家が目の前にいるのに一言も声をかけられずやり過ごすなんて、まるで一〇代の少女のようじゃないか。名前そのままの、また、歌からつたわってくる純真無垢な森田童子像をわたしは勝手に思い描く。『或る風景』(つげ忠男 / 1970)と『マザースカイ』(森田童子 1976)がどこかで出会い・溶け合うことはなかったのか。人の世って儚いものだ。人間同士、たがいに思いはあってもどこかですれ違ってしまうことがある。いくつもの感情が胸中を駆け廻る(おれだって森田童子には一度も会ってないのにさ)。すると、電話の向こうのつげ忠男さんが、「故人がそうして暮らしてきたように、心静かにご冥福を祈りたい」と語り、 「それが一番」とナットクするおれ。2018.7.8

記忘記 note/off note 2021-07-07

靄の先に仄見えるもの

一年まえの「この日」のつぶやき三つ。気がつけば「東京アラート」なるワードもいつの間にか消滅してしまった。このことは、「緊急事態」が私たちの日常にしっかりと定着してしまったことを如実に物語る。オオカミ少年の虚言癖を故意に悪用した詐欺集団が騙る催眠商法・ごはん論法的詐話・三百代言が大衆の危機意識を薄めるためだけに発せられているのなら、断じて空虚な戯れ言のバカバカしさ、薄められ捏造された贋「危機」報道に慣れてはならない。狼に食い殺されるのは陋劣で無惨な政治屋どもではない、ほかならぬ私たちなのだから。2021.7.7

今回のコロナ禍は私たちにパンデミックの恐怖を再び喚起させ「自然」との葛藤と相剋が共生社会へと止揚されゆく道筋を示してくれただろう。当たり前の出会いや語らいがいかに大切だったか。一期一会をしみじみと実感する。3密は緊急措置、固定化すれば没社会・鎖国に繋がる。20207.7

実存とは何か。いま・ここに・生きている身体。ときに「変身」したり「嘔吐」したりしながら。友川かずきが歌ってた「生きてるって言ってみろ」。ボブマーリーが歌ってる「足は鎖に繋がれてないが俺は自由じゃない」。私が耳を傾けるのは生活者の言葉、捏造された官製語じゃなく。2020.7.7

岡田晴恵さんがまたテレビに出始めた。第一波の幕引きを謀るべくコロナ禍の象徴たるこの人を一度は画面から消したが一瞬で舞い戻りの巻。画を消すことで事実までないことにする手法が裏目に出たか。岡田出演が感染拡大のメルクマール。東京アラートよりは数段正確だと思うが如何。2020.7.7

記忘記 note/off note 2021-07-05


ぬけられません

一年まえの「今日」のつぶやき3つ。折しも今日は「東京都議選」翌日。東京という隙間なきコングリートジャングルでは最早「草の根」も絶えたのか。吹くか吹かぬか風街(風待ち)風景。路地がなけりゃ風も吹きゃしません。とうぜん、この先「ぬけられません」。2021.7.5

本日、東京都知事選投票日。どの候補者に一票を投じていいか未だに思い悩む。積極的にではなく「どちらがよりましか」という消極的選択で。棄権はアンガージュ(参加)の放棄だが、白票はタブラ・ラーサ(白紙)現実政治への抗議であり理想への投企なのだと自分に言い訳しながら。2020.7.5

政治と大衆の乖離は痛みとしてたった今も疼く。本来、政治は議会にのみあるのではないとおしえてくれたのはかつての全共闘だ。全共闘は自分たちの暮らしの中に政治の理想を取り戻す手元足元からの運動だっただろう。消えかけた道標には「全共闘から対抗社会へ」。この道を行こう。2020.7.5

全共闘運動が蒔いた種は草の根政治にとどまらず対抗文化全般の呼び水になったはずだ。音楽に限ればジャズもロックもフォークも「造反有理」の行動原理を原点に措く。生活向上委員会・頭脳警察・フォークキャンパーズ等の名乗りの内に権力を無化する自主独立の気概が浮かび上がる。2020.7.5

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