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記忘記 note/off note 2018-10-15



東京挽歌聴こえる

本日、つげ忠男さんにお会いして出来立ての『東京挽歌』をお渡しする。「ああ、こういうふうになるんだ。とてもいいですね」と満足そうにうなずかれる。「自分のファンにはどういうわけかミュージシャンが多いんですよね」ぽつんと一言、それを受けて「そりゃそうです、作品から音楽が聴こえてきますからね」とおれ。本作は原田依幸、川下直広の音楽とつげ忠男のペン画(むろん、藤原邦久のデザインを含め)が相互浸透しながら「東京挽歌」という「大きな絵」「時の時」を示せたのだとおもう。関係者各位に深謝。

記忘記 note/off note 2018-10-15



人民服の生活向上委員会

朝起きてメッセンジャーを確認すると中国滞在中の張理香さんから画像数点が届いていた。開けてみるとなんと生活向上委員会!中国スタッフが持っていた写真集の画像をアップしたものだという。深圳のイベント会場には生向委や原田依幸関係のアナログレア盤や稀少CDを持参して現れたオーディエンスがすくなからずいたらしい。中国観光客の「爆買い」は世界中の誰もが知るところだが、この領域にもおよんでいようとは驚きだ。中国人の大衆消費は世界経済と連動して21世紀を席巻し牛耳ることは最早日の目を見るより明らかだろう。良い意味でも悪い意味でも社会の中に「マス」が脈々と息づいている国はこの国くらいしかあるまいが、国家という共通分母の中から地下に深い穴を穿つ異分子が現れつつあることは興味深い。かれらが穿った穴を掘り進めていったら東京アンダーグランドやら紐育ダウンタウンに通じていたというわけか。原田依幸四重奏団らの音楽を求めてフェスに現れたオーディエンスの数は700人(初日)。おれなどはすごい数だと感嘆したが、中国にゃ13億8千万の民がいるからね。中国当局者からすれば、700は微々たる数字なのだろう。が、毛沢東「星火燎原」の革命原理から言えば、700人もいればすべてをひっくり返せる。いま、生活向上委員会の作風が最も求められているのは中国かもしれないね。天安門広場で生向委のパフォーマンスを観てみたい。

記忘記 note/off note 2018-10-14


日々の泡


原田依幸ユニット中国公演同行中の張理香さんからの報告。原田ユニットの演奏も44年ぶりの原田・ウィリアムパーカー共演も最高だったという。何よりも驚いたのは持参したCD100枚以上が初日で完売したこと。あらためて中国という国の勢いを感じる。過渡期は遅れてきたものが先に立つ、か。


原田依幸さんらの演奏が中国の聴衆に喝采をもって迎えられたことは痛快だが、おれにとっては100枚以上のCDが即日完売したことはさらに興味深い。同時代音楽の種子を100以上も蒔けたんだ。その一粒一粒が中国の大地にどう根を下し芽吹くか。そいつがたのしみでならないのさ。


今回の原田依幸四重奏団の中国公演は700人程の聴衆の前で行われたが、もうずいぶん前から中国スタッフが西荻アケタの店や新宿ピットインに足繁くリサーチに訪れていたという。東京アンダーグランドが世界へ通じていることを実感する。自分の信じることを淡々とやるのがよし。誰かがかならず見てる。


今回の原田依幸四重奏団中国公演に同行できなかったことは残念だが、張理香さんからの報告を伺っていると政治や経済の位相ではとらえきれない大衆の基層が大きく動き出していることを感じる。舐められてたまるか!の傲岸さで歴史を歪めてばかりでは現在進行している事態を正確に読み取ることはできぬ。


プロバガンダとしてのジャズ?
原田依幸四重奏団中国公演パンフ表紙

記忘記 note/off note 2018-10-13



日々の泡

新譜『東京挽歌 / 原田依幸 川下直広』当初より大幅に完成が遅れたけれど原田さんには中国公演を翌日に控えた一昨日、川下さんには本日誕生日に届けることができてホッと一安心。「終りよければすべてよし」という都合のいい言葉も浮かぶがまだ発売すらしてないからね。さあ、これからだ。

田依幸さんは中国公演に出来立ての『東京挽歌』を持参してくれたがいま旭日の観がある中国の人たちがこのCDを手に取ってどうおもうだろう。ジャッケットを飾るつげ忠男さんのペン画に「風景の死滅」とか「時代への挽歌」の意味を込めたが「寂滅」というのは「蘇生」のはじまりでもあるんだがな。

海外出版されたつげ忠男作品集のタイトルは『SLUM WOLF』だったり『TRASH MARKET』だったりするが、翻訳や受容の過程でテクストの中にその国の事象が滲んでくることは大いにあり得る。だとすれば音楽はさらに自由だ。「上海の東京挽歌」とか「紐育挽歌」なんてのも可能か。これぞ国際艶歌主義路線。

今日13日は南島謡人・大工哲弘さん、咆哮し彷徨するテナー吹き・川下直広さん、京都のウクレレ弾きうたい・水晶(みあき)ちゃんの誕生日だ。レーベルゆかりの3人が同じ誕生日というのは珍しいし、なんだか無性にうれしい。そこで3人の作品を一つずつ掲げることににしました。お誕生日、おめでとうございます!








記忘記 note/off note 2018-10-13



音盤制作の与件と予見の音楽

音盤制作を生業にするわたしにとって沖縄には何人かの恩人がいて、島うたの名プロデューサー / 作詞家のビセカツこと備瀬善勝さんもその中の一人だ。20年近く前、そのビセさんに面白いエピソードを伺ったことがある。
ビセカツさんは基地の町コザでキャンパスレコードというレコードショップを経営されているが土地柄、黒人GIが冷やかしによく訪れるという。長時間、黒人GIに店内を屯していられると他の客が入ってこれない、とはいえ、無理矢理追っ払うわけにもいかない。そんなときにはきまって某島うた歌手(あえて名は伏せる)のレコードをかけるのだという。すると効果てきめん、GIは蜘蛛の子を散らしたように瞬く間に退散すると語ってビセさんは笑い、「逆にカディカル(嘉手苅林昌)さんでもかけようものなら、連中踊り出しちゃいますからね」と真顔で付け加えた。
ちなみに歌手某氏の名誉のために言っておくと、この人は沖縄では著名な民謡歌手であってけっして下手な人ではない。ただ、沖縄大衆(特に中高年にかな)の心に切々と訴えかけるような歌唱の情調が黒人GIたちには「退屈」なものに感じられるのだろう。もしかしたら「呪文」のように響いているのかもしれぬ。エピソードの後半「カディカル」云々は、地元ラジオ局でDJを務める程の話上手でサービス精神旺盛なビセカツさん一流の願望も入り交じったリップサービスだろう。嘉手苅林昌さんがそうだったように、真顔でジョークを言うのがコザの人らしくて可笑しいけどね。わたしがビセカツのさんの話を伺って興味深くおもったのは「島うた」と一口に言っても感情の表出次第で人々の魂を「扇情」もするし「退屈」させもする唄のありようである。そう、内向きか外向きかベクトルの違いでまるっきり異なったものに聴こえるというどの音楽でも起こるであろうごくありふれた事実だ。わたしが沖縄の音楽のどこにつよく惹かれるかと言えば「大衆音楽の真実」が醸す究極のダイナミズムをごくあっさりと日常的に見せてくれるところだろう。ここで求められるプロデューサーの与件は場の空気を正確に読んで来るべき音楽の態様を予見し、それにどんなバイアスをかけて伝達するかの判断基準だ。ビセカツさん営むキャンパスレコードは70年「コザ暴動」発生地点にほど近い。レコードショップオーナーとしては迷惑でも、制作者ビセカツなら黒人GIたちの身体が自然に揺れるような音楽を発信できることが一番いい(上等!)にきまってる。

記忘記 note/off note 2018-10-12


日々の泡

表現にとって「不易流行」はいつでも大きなテーマだ。故中村勘三郎は自身演出の芝居にエレキギターを採用して物議を醸したが、いつでも流行の先端をいくのが歌舞伎の精神、江戸時代にエレキがあったらきっと使われていたはずと豪語した。エレキ同様、三味線だって伝来当時はかなりの衝撃だったろうよ。

伝統と目されてるものを仔細に見てゆくと意外と歴史が浅かったりすることはよくあることだ。音楽制作を通して得たわずかな経験や知見に照らしてそうおもう。伝統が先験的に存するものではないのは自明だが発生時に革新的だったものが伝統に収斂されてゆく回路の構造は未だ謎のままだ。

伝統というのは一面、賞味期限が切れかかった革新の冷凍保存のようなものなのかと疑ったりする。但しこれは伝統という発語の根拠を疑っているのであって本質をではない。伝統の本質は時代に即応しながら絶えず転がりつづけることであって、埃のかぶった表現の骨董市ではあるまい。

革新を保守することに汲々として大衆の声を聞かぬどこぞの政党に顕著なように政治でも表現領域でもかつては革新的だったものが時を経て保守に化けてしまう事象は枚挙に暇がない。転がりつづけることを忘れた石には苔くらい生えるさ。それをもってまさかワビサビと称するわけにもいくまい?

入荷しました!



入荷しました!

新譜『東京挽歌 / 原田依幸 川下直広』入荷。ご予約のお客さま、お待たせいたしました。本日より発送開始いたします。どうぞよろしくお願いいたします!



※10月21日発売予定 ※先行発売受付中(10月11日発送開始)

記忘記 note/off note 2018-10-10



音頭夢幻ノート 2018 ②

先日、今後予定している河内音頭の音盤企画として頓挫したままの故初音家秀若師との恊働を些か心情的に綴ったが、今回は積み残した仕事をひとつずつ具体的に記していこうとおもう。
まずはじめに、返す返すも無念なのは初音家秀若師名義のフルアルバムを残せなかったことである。あたためていた企画はあったのだ。秀若師が四代目宗家を務めた初音家は従来の地場の音頭に浪花節の節調を採り入れて現代河内音頭の礎を築いた老舗会派だが、その初音家には初代・初音家太三郎師が残した浪曲音頭の台本が「初音家五大部」として久しく伝承されてきた経緯がある。すなわち「河内十人斬り」「俊徳丸」「平井権八」「難波戦記」「神崎東下り」いずれも長尺の五題である。その中でも取り分け「河内十人斬り」「俊徳丸」の二題が重要視されてきたという。わたしたちはこの初音家伝来の大ネタ二題に従来の音頭伴奏(三味線・太鼓・ギター)に加え、シンフォニーオーケストラをも導入して、音頭に内在する物語空間を言霊と音霊が自由に交通し交感する「モノガタリ往来」「モノガタリ交響」として再編し顕在化しようとしたのである。この企画は実行にうつされぬ間に初音家秀若師が逝去され、ついに「まぼろしの企画」となってしまった。昨年10月に実現した関島岳郎オーケストラが示した同時代音楽の達成をおもうと、早すぎた秀若師の逝去が悔やまれてならない。本作は完成していたら『朝まだき NEW MORNING』と題されるはずであった。
わが同時代音楽と音頭最深部の合作はならなかったが、秀若師はライブのたびに40分におよぶ長尺「俊徳丸」を熱演していて、その良質のパフォーマンスのひとつが2012年、新宿ゴールデン街劇場でおこなった企画ライブ(詳細はチラシ参照)でのテイクだ。このときに伴奏を務めてくれたのが向島ゆり子(ヴァイオリン)久下惠生(ドラムス)中尾勘二(サックス)の3氏で、このとき初顔合わせながら白熱したインタープレイで音頭の行間に深みを与え、コトバのリズムを賦活してくれただろう。このときの記録をわたしたちが構想していた物語の全体性を示すプロトタイプ(未生のモノガタリゆえ『PRE LIVE』と名づく)として提出しておきたいとおもう。わたしたちの『朝まだき』はならなかったが、あとにつづく誰かがこのプロット『PRE LIVE』から音頭の「新しい夜明け」をかならず手繰り寄せてくれるにちがいない。
さて、次回は秀若師の同志、初音家石若師ナンセンスオンドの至芸『うらばん』について記したい。いまさらながら、積み残した仕事量の多さに呆れるばかりだが、自分に愛想尽かししている暇はない。急がないと命の日が暮れる。

記忘記 note/off note 2018-10-09



窮巷のブルーズとブギウギの間で

本日『SP巷談 二〇世紀之大衆藝能第48回』無事終了。1947(昭和22)〜48年に吹き込まれたSPレコードの溝の裡に当時の時代相を探る。前年(1946年)から高まっていた日本革命の気運は2.1ゼネスト中止を境に後退を余儀なくされ、ついにその芽を摘まれてゆく。大衆の心情は菊池章子『星の流れに』沈淪する窮巷のデカタンスと、笠置シズ子『東京ブギ』底抜けに陽気なシンコペートの間を揺れながら、竹山逸郎『異国の丘』二葉あき子『フランチェスカの鐘』津村謙『流れの旅路』等、大衆の戦争体験から滲み出したブルーズフイーリングに酔い痴れた。が、それとはまるで対照的な、真珠湾の悪夢を記憶から振り払おうとしてもがいているようなオカッパルこと岡晴夫『憧れのハワイ航路』自棄糞気味の明るさが却って哀切に響く。渡辺はま子『ズルチンボーイ』の歌詞には「ズルチン」(サッカリン同様、人工甘味料の一種)と並んで「ゲネスト(ゼネスト)」も登場するが、「口うるさいゲネストボーイ」とヤユされている。むしろ、大衆は「革命」よりも「ズルチン」とか「カストリ」あるいは「ヒロポン」といった、身体に進駐して黒々ととぐろを巻く「飢餓」「空虚」を(たとえ刹那であっても)忘れさせてくれる粗悪な混合化合物に投企したのである。この国の革命運動はGHQ庇護の下、大衆の身体的飢餓に寄り添えず、ずるするとだらしなく後退していっただろう。一方、大衆は焼け跡のデカダンスとアナキズム的心情のアンビバレンスを身体にひたすら蓄積していったのである。その集合的身体ともいうべき大衆のアマルガムが美空ひばりという憑り代を得て噴出するまでもう秒読み段階。

記忘記 note/off note 2018-10-08



音頭夢幻ノート 2018 ①

今後の河内音頭制作プランについて、すこしばかり綴っておきたい。まず最初におことわりしておくとこの投稿はわが友人同志、音頭取り一人ひとりに宛てた「私信」の類いであり、これからはじまる「恊働」のための私見を綴った粗いレジュメである。これから綴る拙い文章から音頭にたいする一片の「赤心」を汲み取っていただければ幸甚。

先月の『河内音頭会2018』を成功裡に終えたいま、いよいよ音頭のあらたな作風を提出するときがやってきたように感じている。その主軸となるのが三音(みつね)・日乃出連合軍と、一昨年暮に三音家と30数年ぶりに和解を果たした名曲師・三音家浅司(現・司家征嗣)師率いる司家(つかさや)を含めた混成隊ではないかと愚考する。この線上にさまざまな企画が思い浮かぶが、その前に積み残した仕事がいくつかあって、まずそちらから整理していかぬうちに新しい仕事に着手するわけにもいくまい。
わたしたちはこれまでにミソラレコード(ONDO NOW)として4枚のアルバムをリリースしてきた。『カストリオンド / 初音家石若』『音頭師 / 鉄炮博三郎』『河内音頭夢幻 / 初音家』『音頭往来 / 五月家音若 司家征俊 初音家かをる』である。この4作を通じて、一方ならぬお世話になったのが2016年に逝去した初音家秀若師だ。河内人ではない、ヨソモノのわたしたちが大手を振って各会派を渡り歩いて対話を重ね、大御所たちのご理解と全面協力を仰いでの音盤制作に携われたのは偏に秀若師のご厚情とご尽力の賜である。秀若師からいただいたご恩情にはいくら感謝しても感謝しきれぬ。その恩に報いるには秀若師とやりかけていた仕事を十全に仕遂げること以外にはないだろう。師が儚くなってすでに丸二年、その間に積み残されたまま遅々として進まなかった録音作業、いまはわたしの怠惰をただただ羞じるばかりだ。初音家秀若師の霊に言い訳はすまい、これよりは師の霊前にやりのこした恊働の成果を報恩の証として一つ、またひとつと積み上げてゆくのみ。稀代の音頭馬鹿一代・初音家秀若師、あなたとの約束はかならずやり遂げます。それまでどうか見守っていてください。

…と永年、胸の中に鬱屈していた心情を吐露して、次回から現在の情況と交叉させながらより具体的に綴ってまいりたい。

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