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記忘記 note/off note 2021-05-06


来るべきものと失ったもの

最近アントニオカルロスジョビンを聴いている。巷間「ボサノヴァを創った男」と呼ばれるジョビンだがクラウスオガーマンとの協働に「新たな波」の向こうに地球を包み込むさらに大きな潮流を予見しているように聴こえる。同時代が獲得した世界音楽の潮流の中で魚が鱗で呼吸するように来るべき潮の音を聴く。

自宅電話に営業か詐欺電話しかかかってこなくなって久しい。留守電にして出ないよう母に言う。思えば拒絶を前提とするコミュニケーションツールとはミョーな話。この現象は固定電話の終焉を告げているのか。否・道具に罪はない。使う人間の問題だろう。「失われた30年」の間に私たちが失ったものはあまりに多い。

記忘記 note/off note 2021-05-05

牢獄内の交々

先月から通販注文が途絶えている。この現象は音楽家たちが表現場を奪われていること・活社会のあらゆる動向と連動して起きているのだから仕方ない。コロナ禍が苛烈さを増すのはむしろこれからなのか。ならば波浪は障害に遭うごとにその堅固の度を増す。同時代の挑戦と応戦の一波万波をいま・ここから。

幻想の両義性を思わずにはいられない。幻想はときに絶望の暗闇を照らす光にもなるが暗闇にさらに漆黒を重ねる桎梏ともなりうる。ディープステートの根っこには「夢見たい」米国大衆の願望があるだろう。だが眼前の現実に目を逸らして未来への物語はない。待て・そして希望せよ。この牢獄の只中だからこそ。

レーベル発足以来表現媒体をCDに求めてきた。かつてCDは大衆的メディアだったから。現行のデジタルからアナログへ遡行するバック・トゥ・ザ・フューチャー現象は興味深い。CDがいよいよダメになったらストリーミングは避けてビニール盤かカセットかな。先行きがまるで見通せぬが行けるとこまでいこう。

今最も気になり行ってみたい国はブラジル・インド・アメリカ。いずれも感染拡大が止まらない国ばかりで厄介だがこれらの国にはこの国が忘れかけている潜在的民衆力がある。パンデミック猛威の只中で世界を蔽う閉塞状況を民衆の内発力がどう打ち破り超克してゆくか注視していきたい。音楽を聴きながら。

記忘記 note/off note 2021-04-29

管制下の灯火リレー

東京五輪は即刻中止するべきだ。スポーツを人質に人命と政治・経済を秤にかけるは愚の骨頂。中止してもレガシーは残る。選手村は感染対策施設として再活用すればいいし新国立競技場は我利我利亡者共の腐敗した経済功利を埋葬してモニュメントたりうる。真の平和とスポーツの祭典はそこから始まる。

忍耐強い国民性などと心のこもらぬ世辞を言うバッハが嫌いだ。口元膨らんだマスク姿は狡猾な烏天狗にかも似たり(それでいつも高飛車なのか)。それにしても忍耐・灯火管制・見回り隊…。だんだんキナ臭くなってきたぞ。だって非常時・パンデミックとの戦争だもの。とても五輪お呼びじゃない?

記忘記 note/off note 2021-04-28

アンダーコントロール(=調整不足)

失われた20年は10年追加されて今も続行中だ。誰もが震災時の悪夢を語るが後の10年は悪夢の中で見る悪夢でしかなかった。お腹が痛いと偽って感染対策を放棄した虚言癖の前首相と感染拡大の只中を嘘八百で招致した五輪強行を是非なく目論む亜流ども。アンダーコントロールされてたのは私たちだったのか。

丸川珠代 VS 小池百合子・遺恨相撲の再燃か?!丸川が小池に仕掛けた泥仕合の意味がまるでわからない。政府御用達・田崎史郎がいくら力みまくってどんなアクロバットな解説を試みようがこんなもの見せつけられては今や少数派の五輪支持者さえ引く。規定路線「五輪中止」露払いの一幕。責任なすりつけ合いのドタバタ劇(若くは気の抜けた八百長相撲)と解するのが妥当か。どうでもいいけど、往年の「泥レス」を思い出したな。女をナメたらあかんぜよ、か。お生憎さま。こやつらは女子の皮をかぶったオヤジなの。

尊敬するニュージーラン在住のフォークシンガー・田中研二さんに「アンダーコントロール」は英語表現上「コントロール不足」の意味にしかならないことをご教示いただいた。まあ、ウソで塗り固めたアンダーコンクリート、もとい、アンダーコントロール(調整不足)がいままさに「五輪中止」を呼び込もうとしているのだから、言行一致というべきか因果応報か、はたまた科学的知見に基づく当為の結果というべきか。からっぽの競技場が我利我利亡者どもの埋葬所に再利用されなければ幸い。

記忘記 note/off note 2021-04-27


Another Day On Earth

駅前にある小さな憩いの場。もしもこのコロナ禍中に、私を訪ねてくださる奇特な方がいらしたらここに案内しよう。ここなら風通しがいいし、傍らにはスタバもコンビニもある。樹を囲む円型ベンチに腰かけて、コーヒーでも飲みながら小一時間。「近況」や「これから」について語り合うのもいいだろう。どこの町の、どんな駅前にもあるありふれた空間でも、自由な心、空想の翼さえあれば「街角のクラブ」(ミルトンナシメント)、小さなアジールたりうる。風の通り道に、語らいと音楽がある「Another Day On Earth」(ブライアンイーノ)を暫し夢想する。時を堪えながら、いまやれることを手元足元から無理せずにすこしずつはじめていこうか。2021.4.27

記忘記 note/off note 2021-04-12


ショーケースオフノート」終了のお知らせと御礼

「ショーケースオフノート」(西荻FALL)は昨11日をもって終了しました。先月17日からおよそ4週間。コロナ禍の中を多くのご来場を賜り、感謝に堪えません。ご来場の皆様、ほんとうにありがとうございました。会期終了にいただいた店主・三品三品輝起さんのメールにあった次の言葉が有難く、深く心に沁みました。
「さまざまな年齢の男女が、さまざまなかたちでオフノートに影響をうけて、FALLに集まってきてくれて、あらためてオフノートがやってきたことの重みを感じました。買ってくれたひとの何人かは、今回のフェアをきっかけにオフノートの音楽を知ったひともいると思います」。
昔も今も、そして未来も善き人たちと「音の力」に護られてあることの奇蹟と光栄をゆっくりと噛みしめております。甚だ微力ではありますが、さらなる同時代「音の力」結集目指して今日只今より一層精進してまいりますので、今後とも変わらぬご支援、よろしくお願いいたします。2021.4.12 オフノート神谷一義

記忘記 note/off note 2021-04-02


郷土と地球漂流時代の先後

北海道在住の畏友・伊藤龍秀さんよりご自身が編集人を務める『旅人類07』(吉田類責任編集・共同文化社)をご寄贈いただきました。どうもありがとうございます。
今回の特集テーマは「港町から始まる、歴史散歩」。旅行もままならぬコロナ禍中の現在、本誌表紙&紙面に一層旅情はつのります。が、立ち止まって考えてみれば、パンデミックの波に攫われて全人類・地球全体が漂泊しているようなもの。いま・立っているこの地点から見えてくる新たな世界・歴史の深層・未知との遭遇もきっとあるでしょう。郷土と地球漂流時代の先後。そんな思いを込めて本誌の頁をめくりたいと思います。2021.4.2

記忘記 note/off note 2021-03-30

マンボウNO.5

最近メディアで「まんぼう」なる語が飛び交うが「まん延防止等重点措置」の略語だそうな。語の響きから海にプカプカ浮かぶ大型魚しか思い浮かばず非常時に著しく緊張感を削ぐがコロナ禍の波間にたゆたうこの国の無為無策を言い表してるようで笑える。せめてまん防連発でマンボウNO.5にならなければ幸い。

記忘記 note/off note 2021-03-28


魂の行為の軌蹟

一昨日、わが畏友にして手練の編集者・向井徹さんよりご自身が編集を担当されたなかにし礼著『愛は魂の奇蹟的行為である』(毎日新聞出版)をご寄贈いただきました。どうもありがとうございます。
なかにし礼という固有の作家が自らの引揚体験を表現の核にしながら、この国の戦後過程をどう見つめ、「うたう詩」を紡いできたか。一時代と強烈に切り結んで主旋律を奏でつづけた同時代の作家・阿久悠とは異なり、固着しない風景とドラマの裡に自身の原体験を滲ませようとする魂の行為はこの国をおおう白闇のスクリーンに一片の愛の形象を投げかけながら時代を超越して通奏低音を響かせていたでしょう。愛国者・なかにし礼のこの国を見つめる眼差しがいつのまにか筋金入りの民主主義者の視座へと変わり、現政権をひたすら弾劾してやまない晩年の発言と行動のなかにもこの作家の魂の行為が読み取れて深く共感していました。「引揚」作家・なかにし礼が基層から湧き上がる声なき声にどう耳を傾けてきたか、この最後のメッセージから聞き取りたいと思います。2021.3.28

記忘記 note/off note 2021-03-18


地球を浸す声

急に気になってジョアン・ジルベルトの弾き語りアルバム『ジョアン 声とギター』(2000年 カエターノ・ヴェローゾプロデュースによる)を棚から引っぱりだして久々に聴いてみた。深沈とした声とギターの静謐な佇まいに、かの風狂の謡人・嘉手苅林昌一代の唱い来たり唱い去る「カディカル節」の絶唱が重なる。巷間、ジョアン独自のクール唱法がボサノヴァの作風を呼び込んだとつたえられたりもするがどういたしまして。唄うほど語るほどに歌唱は灼熱の色彩を帯びて魂をジリジリと焦がす。ボサノヴァ唱法の中に漂う噎せるほどのサンバの芳醇な香りはボサノヴァがサンバの大海が湛える一現象「新しい波」であることをおしえてくれるだろう。嘉手苅の歌唱が始まりも終わりもない「風の言葉」なら、ジョアンのそれは「水のささやき」「水の呂律」だ。水は冷たくもなるし熱くもなる。草の露の瑞々しさは「世界」を光り輝かせ、大河の奔流は巖も砕きあらゆるものを吞みこんで奔騰する。また、乾いた喉を潤す「おいしい水」は生類を死の淵から生き返らせたりもする。変幻自在な水のもつ変特性だ。嘉手苅林昌とジョアン・ジルベルト。二人の謡人の「風と水の呂律」に身を委ねれば、現行コロナ禍の最中にも地球は転がり、いままさに週暦を革めようとしているのがわかるだろう。2021.3.18

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