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記忘記 note/off note 2022-01-17


BGN

一昨日15日、南太平洋・トンガの火山島で発生した大規模噴火は太平洋側広域に「津波」(若しくは異常潮位)の災害を引き起こし、世界的各地に甚大な被害ををもたらしました。大平洋域に位置する日本も例外ではなく、局地的であれ小さくない爪痕を残しました。そこで想起されるのが11年前の「3.11」震災の記憶。災害は私たちの日常に埋もれ匿れていた無意識を再び喚び起こす。が、このたびの「津波」現象は過去に起きたいずれの津波災害とも異なり、その発生メカニズムは現時点で解析できず不明だというのです。現行のコロナ禍といい、今回の津波災害といい、私たちは地球の潜在敵猛威「無意識」に侵食されつつあることに思いをいたさないわけにはまいりません。けれども、どんなときでも究極の拠点は身体であり、一つひとつの生命であるはずです。身体のメモリに書き込み保存され先人たちの智慧を探り取り出して「現在」を修正すること。そして、生命という記憶装置を交信装置に換え、地球全体に張りめぐらす自然と人間相互のネーとワークを創出すること。いまほど、そのことが喫緊の課題として私たち同時代に鋭く問われている時機はない。「同苦」を共感の根幹に据えた新たな協働性に基づく共生社会の実現。そこへ至るための「耳で考えるヒント」がこのディスクの中にあります。いちど、おたしかめいただければ幸甚です。2022.1.17

記忘記 note/off note 2022-01-16


巷に蔓延る

つげ忠男さんより電話。もう二年もお会いしてない。いっかな終わらぬパンデミック。人との往来がままならぬ現状に切歯扼腕するが焦ってはなるまい。いま表現に求められてるのは蓄積(鬱積?)したものを抱えて跳躍する瞬発力と危機に挑み打ち克つ突破力。私たちは足腰の別の筋肉を鍛えてるのだと思い定めよう。

現行オミクロン株が厄介なのは自覚症状がない罹患者が多いことだろう。無自覚なまま人と接触して感染を広げる。SNSに蔓延るインフルエンサーたちの生態と重なるか重ならぬか。ウィルスの流行と拡散。重要なのは自覚すること。一個の生命の営みが他者とも世界とも相関わっていることを。真底そう思う。

記忘記 note/off note 2022-01-15

今朝テレビをつけるといきなりオミクロン株について語る押しの強い声が飛び込んできた。即専門家ではないなと思ったら黒岩神奈川県知事だった。業績・評判は知らず。だから偏見かもしれないが身振り話し振りが大仰な言葉ってのはまるで入ってこないな。政治家という職種は等身大になれぬものらしい。

FB短文フォームが一三〇字でツイッターなら一四〇 字。たった一〇字のちがいだが、表現の幅はぐっと広がる。一文字たりともおろそかにはできぬ。「恩納岳あがた里が生れ島森ん押しぬきて此方なさな」(恩納岳の向こうが愛しい貴方の村 。山を押しのけてあなたの村をこちらにうつせたらとどんなに思い焦がれることか)。伝説の女流歌人・恩納ナビーの琉歌である。八・八・八・六(サンパチロク・和歌三十一文字より一字すくない三〇字)の詞型に森羅万象を包摂し「山も動け」とばかりに祈念する。。詞の呪性・本源力。そう、言葉には力がある。現代人はそのことを忘れているだけだ。南のどこかの島では鶏も空を飛ぶという。

記忘記 note/off note 2022-01-14


日々の泡

本日定期検査。心電図をとるため検査室ベッドに横たわっていると隣室から「痛いよ〜」と注射の痛みに泣く老爺やトイレからも「もう下着穿いてもいいですか〜」という老婆の声。ああ人間みな子供に還っていくんだなとしみじみ実感。ならば私などはまだ青年。暫しのモラトリアムを思いっきりたのしもう。

20代の頃だったか。祖父母と暮らす友人が「年取ると子供に戻るんだが狡さだけはそのまま残るから困る」と語っていたのを思い出す。老獪さは人生の辛酸の結晶だから除去できぬししない方がいいだろう。そこに一朝一夕ではあらわせぬ深い味わいもあろうというものよ。無邪気で老獪なジジイが私の理想だ。

子どものように無邪気なおじいさんや可愛らしいおばあちゃんなら沖縄でいっぱい見てきた。沖縄には老いを自然に受け容れる成熟した共同性が途切れず息づいているから。年配者を屡々偏屈・依怙地にしてしまうのは私たちが住む社会が未成熟だからだ。年配者が居心地の良い社会を。

記忘記 note/off note 2022-01-13


全体音楽へ

近所の書店新刊コーナーに一際目をひく大部一冊。橋本治著『人工島戦記』。惹句には「空前絶後・前代未聞の全体小説」とある。サルトルが先鞭をつけた全体小説の概念に全体音楽という思いつきを重ねてみる。あらゆる表現が全体を求められている今。新たな共同性を謳う全体音楽の創造こそをと心に誓う。

いま全体音楽が可能かどうかは不明だがショスタコーヴィチなぞはさしずめそう呼ぶに相応しいか。二〇世紀が戦争と革命の時代だとしたら彼の交響曲は身内に砲声や行進の跫・建設の鎚音が鳴り響く。が・我ら同時代の全体音楽は全体に奉仕し収斂されるのではなく生き生きとした個の集合が全体を構成するものでなければならぬ。

外付DVDドライブがうまく読み込まないのでレンズクリーナーをかけようとするもいくら探せど見あたらず結局購入。前回不調だったときも見つからず新規購入したのに。クリーナーばかり3つもあってどうする(泣)。あとで3つの価格を足せば新しいドライブが買えたなと気づいて全身脱力。今晩は早く寝よう。

記忘記 note/off note 2022-01-12


袋小路で

韓国次期大統領選候補の醜聞が喧しい。不快なのがコメンテーターたちの言動。韓国人解説者面前で隣国をあしざまに罵る慎みのない傲慢さ。逆の立場なら色をなして怒り狂うだろうに。そもそも偏見に満ちた下等物件どもに公共の電波を使って発言させること自体偏向報道ではないのか。一党独裁の国が隣国の民主主義を嗤うなんざ片腹痛い。

犯罪もまた時代を映す鏡だと思わずにはいられない。70年代にジャズ評論家・平岡正明さんが著した犯罪時評『あらゆる犯罪革命的である』からは題名通りに下方にわだかまる大衆の犯罪に向かうパトスが悉く脱体制を志向していることが読み取れる。昨今の犯罪は時代閉塞の袋小路で弱者がさらなる弱者を虐め殺していてやりきれぬ。

記忘記 note/off note 2022-01-11

水際に漂うもの

小池百合子都知事が初出馬した際満員電車解消と東京の無電柱化を公約に掲げていたと記憶する。満員電車解消はコロナ禍の現在にこそ強く要請されよう。国政に色目など使わず地道に都政に邁進していれば備えられたのに。せめて無電柱化のほうは都市直下型地震に備えて可及的速やかに実行するべきだろう。

都知事が票寄せに打ち出した満員電車解消なぞはこの国の産業構造を変えライフスタイル全般を革めねば実現できぬだろう。その覚悟はあるか。あるまい。ひとつつおぼえのように密を避けよと繰り返しても穴の空いたバケツで水際のオミクロンが掬えるか。付焼刃のポピュリズム。お為ごかしの住民ファーストよ。

ポピュリズムの内実に今・ここに・生きつつある大衆の欲求や願望・日常の飢えや渇きが反映されているかぎり全否定されるべきではないだろう。ただ大衆の欣求を逆手に取って権力に一極集中させる欺瞞が罪深いのだ。民主主義ならぬ民主詐欺。気をつけよう。住民ファーストの皮をかぶった権力ファースト。

記忘記 note/off note 2022-01-10


地図のない旅の心得

暇に飽かしてネット検索をしていて引っかかったのがこの3枚組コンピレーション『Lullabies For Catatonics』。紹介文にはこうある「60年代後半から70年代初頭にかけて、バルトーク、バッハ、ビートルズからダダ、ダリ、ポップアートまで、あらゆるものに触発されたアンダーグラウンドの頭脳派が敢行した地図なしの旅を描いている。突然、ポップミュージックは、もはや6月の月のような歌詞と伝統的な曲の構成に縛られることはなくなった。その代わりに、抽象的なもの、不協和音、超現実的なものを受け入れ、ポップはロックとなり、ロックはアートとなった」。なるほど、と興味はそそられるが待て暫し。「地図なしの旅」にガイドってのはおかしくないか?これでは三泊四日「秘境の旅」ツアーかとヤユしたくなるではないか。この手のコンピは性格上、啓蒙的にならざるを得ぬが、ある種の意図や意図をもって一旦プログラム化されてしまうと気持ちが途端に萎えてしまうのも事実だ。リスナーの啓蒙や向学心(好奇心?)の啓発が目的なら、予め組まれたプログラムを示すよりも、対象への興味を自然に引き出すことの方が独自で大きな発見があろうし、持続性も高まろうというものだ。音楽への向き合い方一つで「無数のプラトー」があらわれる。ならば、自分の耳・感性ひとつたよりのノマドとして「旅する音楽」その記憶と創造の豊かな鉱脈を探りあてることがよりたのしいにきまってる。とかなんとか御託を並べても、結局は買わない言い訳。で、これも暇潰しの延長。

記忘記 note/off note 2022-01-09


記憶の釣瓶井戸

中国から新年の挨拶状二通。どちらにも「良い作品を作ってくれてありがとう」とあり嬉しくなる。中国の人たちが「最初に井戸を掘った人」を忘れず尊ぶのはほんとうだ。ならば同時代の井戸をさらに深く掘り進めよう。眠った世界記憶を喚び起こし繫がるように。ありがとうの言葉にはありがとうの気持ちで返したい。

河内音頭には新聞(しんもん)詠みというジャンルがある。折々の時事ネタを即席の音頭に乗せて詠む。その代表的演者が河内家菊水丸。もう三十数年前か。筑波大新聞部と組んで当時学長の専横を暴いた音頭や朝鮮人強制連行音頭の衝撃を懐かしく憶う。現在ならネタに事欠かない。権威権力哄笑する健康な批評精神の復権をいまこそ。

記忘記 note/off note 2022-01-08


2022年の初夢

今年3月で61になる。自分がこの年齢になるとは想像もしてなかった。若い頃は誰もが夢見がちだが夢みるにも気力と体力がいる。「進むべき道を失った時に必要なのは夢。将来ではなく現在の」魯迅の言葉がコロナ渦中ならなおさら胸に沁む。焦がれ灼き尽くすように今を夢見るよりないか。たとえ悪夢の連続でも。

今年も多くの方から年賀状を頂戴した。目を通すもコロナ禍の折柄か近況・抱負が乏しく儀礼的な印象を受けた。だが沈黙は雄弁・文面の行間から各自の苦闘や決意が滲み出る。新年早々泣き言や苦境を述べるのは野暮だからね。予定は未定でも同時代の新たな共同性や表現が着実に芽吹いていることを確信する。

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