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記忘記 note/off note 2019-12-06

日々の泡

先日、オフノート関連のディストリビュートをしていただいているメタカンパニー・高沢章雄社長と駄弁っていたとき、「ここ数ヶ月、AMAZONからのオーダーが減っている」報告を受けた。オーダー数が「通常の半分程度」だという。毎月売上の半分以上をAMAZONに負っているから、それがさらに半分ではまさに死活問題である。消費税引き上げの影響か、それとも同業他社との競合の激化か、それが一時的なものなのか、長期化するのか。いろいろと思い悩むが、手立てを講じようにもまるで術がなく、ただ手を拱いて動向を見守るだけの完全なお手上げ状態だ。毎年のこととはいえ、さらに重苦しい年末とは相成った。現在、CDの卸値は概ね定価の50%(例外もあるが)。ということはダ、流通に割かれているコストは送料を含めると全体の50%強、のこりの50%弱でいきおい「ものづくり」の現場を賄わなければならないことになる。この概算は飽くまで初期費用(念のため)。「利益」配分が完全に抜け落ちているのは「勝ち目のない博打」、先行出資のリスクばかりが大きく、予め「利益」を見込めないから。これが零細インディーズの偽ざる現実なのである。消費が上向いている時代ならともかく、下降の一途を辿っている昨今では制作関係者にとってまことに大きな負担であり、最早破綻寸前であることは申すまでもない。幸い、本年は4作の新譜をリリースことができたが、いずれも既成音源に頼り、「新録」が一つもないのは、この間の事情を如実に物語っているだろう。もちろん「モノを売る」ことの難しさはよく知っている。写真集初版300冊、小冊子限定500部、CD初回プレス1000枚を売りきることがどれだけ困難なのかをである。「作品」が市場原理を指標とするかぎり、「ものをつくる」ことと「モノを売る」ことが等価なのは仕方ないとはいえ、どうにかならないものかという思いはいつまでも拭えない。人間は起きて・食って・働き・糞を垂れて寝るだけの存在ではないはずだ。人間が生きるためには、表現も批評も学習も運動も必要ではないのか。まあ、表現とか批評というのは一部ゲージツカとかヒョーロンカの「お道楽」や「お遊戯」で、著作や音楽作品は「趣味・嗜好品」であって金輪際、軽減税率の対象にはならないだろうが、はたしてこれでいいのか。せめて、このお寒い情況に一灯を点したいと莫迦は素寒貧で震えながら一人気を吐いてる次第。共感(同情?)いただける方はぜひ、「オフノート年末年始感謝セール」(という名の貧窮レーベル救済の社会鍋みたようなもの)をご利用くださいますよう。何も深刻ぶることはない、いつもの「宣伝」だったりして。ま、冒頭に「PR」と記載しなくとも、こんな愚にもつかぬ語り(騙り?)に騙される奇特な御仁も居るまいて……というわけで本年もあと一月足らず。どなたさまもお元気で、この年末の慌ただしさを共々に乗り切ってまいりましょう。 2019.12.6

記忘記 note/off note 2019-12-04


笛吹き男に誘われて
消えた130人の子供たちと音の行方

ここ数日、阿部謹也著『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』(ちくま文庫)を読みながら「伝説」の内実に思いを凝らす。13世紀ドイツの小都市で起こった130人の子供たちによる大量失踪事件がどのような軌跡を辿って「物語」の体裁を整え「伝説」化していったかを中世ヨーロッパ社会全体を俯瞰しながら具に検証してゆく。「事件」という事実(ファクト)がそのままでは「伝説」化し得ないのは当然だけれども、その過程におけるコード(社会構造)とモード(時代風潮)の隙間から、あるいは心的境位の裂け目から「差別」の位相がくっきりと浮かび上がってくるのは興味深い。本書は一面、謎解き的な面白さもあるのでこれ以上の種明かしはしないが、物語が本質的に「差別」という人の世の哀しみから生まれ、最下層に措かれた窮民や制度の埒外に打ち棄てられた被差別賤民たちにとって「疎外」からの回復の希求であり、自己救済(逃亡や蒸発を含め)の契機の表象であることを本書を一読して納得したことだった。本書を通して阿部氏は、「伝説」を構成する構造や文脈などのデータ、客観的事実にのみ目を奪われるのではなく、そこに同時代の意識や個人の経験や体験を重ねて実証的・主体的に読み解くのが「学問」の作法であると説くが、まったくその通りだろう。氏の「学問」をじぶん自身の立ち位置に置き換えれば「記録」ということになろうが、表現場をスライドしてなお、ここから沁み出てくるものは存外に多い。たとえば、世には「名盤」というものがある。それとはまったく無関係に、今日ただいまこの瞬間にも世界の其処彼処で、無数の「名演」が生まれているかもしれない。それは「音楽は奏でられた瞬間、宙宇に消え、二度と戻らない」(エリック・ドルフィー)一回性を前提としている。が、「名盤」は定着した「記録」であることはもちろん、時代を覆う社会的与件・風潮と大衆の心的境位が斬り結んだり・馴れ合ったり・揉み合ったり・スパークしたりして「伝説」化したものに与えられた栄誉であり称号だったりする。ならば、「名盤」とはすなわち勝者の証ということになろうが、いつの時代でも社会(と歴史の時空間)というのは「持てるもの」と「持たざるもの」の二重構造でできていて、その奥底に沈められた記憶と記録の堆積は何も語らず、しかも無尽蔵である。同時代のサルベージュ(浚渫)、もっと平たく云えば「ドブ浚い」、これが今後おれたちの仕事になるのかな。秘匿された同時代のオーラルヒストリーのなかから永く語られ・読み継がれるオトとコトバのモノガタリを些かなリとも浮かび上がらせてゆきたい。 2019.12.4

記忘記 note/off note 2019-12-03

日々の泡

「桜を見る会」の波紋が日増しに広がっているのはいいことだとおもう。毎度のこととはいえ、今回の政権スキャンダルも「小さな問題」とか「他に議論することがあるはず」などと御用評論家もどき(デマゴーグ)が火消しに躍起になっているが、言語道断である(自民御用達・田崎某、片棒担ぐ辛坊某、恥を知れ!)。起こった問題は小さいかもしれないけれども、ここにセコくて小狡い、国民(キライな言葉だが)にまともに向き合わない、弱者には一顧だにしない、権力を私物化してやたらめったら驕り高ぶる現政権の醜悪な本質が集中的にあらわれているのである。いったいいつまで、汚れた手で国民を丸め込みウソで固めた泥まんじゅうを拵えようというのか。野党(一向に足並み揃わず甚だ心許ないが敢えて期待しよう)は追撃の手をゆるめず、一丸となって主人・番頭・手代・丁稚に至るまで「改憲」本舗のウカラヤカラどもに「忖度」泥まんじゅう製造のツケ(代償)を取り立ててもらいたい。 2019.12.3

オフノート年末年始感謝セールのお知らせ

先日予告しました通り、日頃のご愛顧に深い感謝の意を込めまして期間限定で割引セールをおこないます。開催は2019年12月2日〜2020年2月2日の2ヶ月間。オフノート関連全アイテム(新譜6アイテム+限定生産1アイテムを除く)通常消費税10パーセントを割引させていただきます。ぜひこの機会をご利用くださいますよう。どうぞよろしくお願いいたします。 2019.12.2

[おことわり]
ネットショップに表示されている価格はすべて割引価格です(但し、TR-002, non -26, SR-201901, MRON-3005, giingo-0005, OK-6, ASCD-2012、以上7アイテムはセール対象外となります)。

記忘記 note/off note 2019-11-30

日々の泡

10月に消費税が10%になってからずっと、ふんだりけったり状態がつづいている。それまで好調に伸びていた通販注文はすっかり途絶えるわ(ほぼ壊滅)、CDプレスから印刷代、プラケース、PP袋等の付属品に至るまで凡てが軒並み値上げだわでわややがなもう。居丈高に居直る「小島の主」が支配するこの国に暮らす誰もが同じ苦しみに喘いでいるのだろうが、弱小零細インデーズの慢性的赤字経営ではより一層深刻である。〈永久〉運動体としてのレーベルなどとおっとりかまえていた日にゃ干上がっちまう。世の中の流れがそうであるなら奇策と出よう。期間限定(一ヶ月半くらい)で消費税分を値引きします。流通上のあれこれ(オトナの事情)で、今年リリースした新譜と限定商品(八重山歌謡全集)等、いくつかご対応できないアイテムもありますが、旧譜は凡て消費税カットというせめてもの抵抗。自縄自縛のやむなき仕儀とはいえ、ライブ会場の物販では毎回やってることだし、いくら不景気で破綻寸前とはいえ、よもや自らの首を絞める自殺行為にはなるまい。近日中に「注文フォーム」の変更設定をおこない、近日中にはささやかな消費者還元割引セール?(なぜ、国の肩代わりを零細レーベルがするのかは不明)を実施する所存(来月3日頃からを予定)。果たしてこれで「越冬」できるかどうか…。みなさまのご支援を切に乞う次第です。2019.11.30

記忘記 note/off note 2019-11-29


桑本正士写真展 幻植物園

本日、2016年に逝去された写真家・桑本正士さんの写真展「幻想植物園」を観に千駄木・ぎゃらり-Knulpへ。桑本さんはレーベル発足当初からデザイナー・藤原邦久さんと共にアートワーク全般を担い、〈永久〉運動体としてのオフノートの旗標を鮮明にし、レーベルカラーを決定してくれた大恩人だ。このたびの「植物」との対話は写真家・桑本正士にとって晩年のライフワークとなったが、「人工と自然」その葛藤と相剋(この人にとって首尾一貫した主題ではなかったかと愚考する)が織りなす千変万化の形象を眩いほどの鮮烈さで印画紙に焼き付けられていて見るものの魂をひたすら衝迫してやまないだろう。残す会期はあと2日。眼の人・桑本正士が幻視しつづけてきた光と翳のモノガタリと、鋭敏かつ用意周到に裁りとられ縁取られた一刹那の集合の記憶と記録をぜひともご確認くださいますよう。 2019.11.29

記忘記 note/off note 2019-11-27

日々の泡

2019年もあと一月とすこし。今年は出不精の一年で、新しい「出会い」は多くなかったが、その中で最大の収穫のひとつは対馬在住の唄うたい・古藤只充さんと知り合えたことだろう。古藤さんとはじめてゆっくり呑んだのは企画したライブの翌日だったけれども(尊敬するシングソングアクター・佐藤GWANさんも同席、初対面)、その席で古藤さんは自らを「遅れてきた唄うたい」と云われたことが印象的だった。一般的にフォークの高揚期は60年代後半から70年代初頭ということになろうが、唄うたいとしての古藤只充の出発はその退潮期に入る1972年頃とおぼしい。60年代に席巻した「反戦フォーク」の〝造反有理の歌声〟が消え、静かな〝内省〟に向かうちょうどその頃だ。ざっくばらんな呑みの席ということもあり、古藤さんは「売れ損なった」若き日のじぶんをエピソードや当時の心情を交えつつ自嘲して語り、ぼくたちは笑った。が、1972年から79年あたり、「箱舟」は去り、「負ける時」をしたたかに実感したあの束の間の一期こそ、同時代音楽としてのフォークが最も眩い光芒を放った稔りの季節だったのではないかとおもうのである。試みに「フォーク史」を繙き、この間にリリースされたアルバムを確認してみればいい、いかに「名盤」が多いか秒速で気づくはずだ。これらの「名盤」のほとんどがいまではでCD復刻されて手軽に聴けるようになったが、「名盤」の陰に記録されざる唄うたいの唄が無数にあったことを想像する人は皆無だろう。ぼくが古藤さんの唄をはじめて聴いたとき、この国の「フォーク」が身内に蓄えていたフォークロアの多様性と可能性を十全に内発して咲かせた同時代の花の匂いを嗅いだような気がした。いまのぼくには売れ損ない・記載漏れ(フォーク正史から)した唄うたいのうたが切実に響く。定刻通りに来たバスにそのまま乗ったのでは唄にならない。バスには乗り遅れるものだ。腕組しながら来たバスをいくつも見送りながらようやっと乗り込んできた古藤只充とその唄に出会えたことは、いまのぼくにとって稀なる幸運だったと云うべきだろう。 2019.11.27

記忘記 note/off note 2019-11-26


日々の泡

昨夕、CDをご注文くださったお客さまとメールで「届け先変更」のやりとりをさせていただいたのであるが、文中に「音楽くらいしか楽しみがないのでどうしてもほしいCDでした」とあり、胸を衝かれる。かつてじぶんにもそういう時期があった。20代、ぼくは俸給生活を送っていた。渇ききった喉を水で潤すように、古今東西の音楽を片っ端から貪り聴いたあの頃。砂をかむような日々のくらしのなかで音楽は、唄は、なによりも乾涸びた心の「慰め」であり、毀れやすい魂の「救い」であった。その後はなぜか音盤制作が生業となり、流れ流され、いつのまにかその地点から大分遠くへ来てしまったオノレを確認してただ慄然とするばかりだ。だって、いまのぼくにとって音楽は「楽しみ」ではなく「苦行」に近いから(目下、ぼくのささやかなたのしみといえば、山本周五郎の小説を耽読しその作品世界に逍遙することくらいか)。これは音楽を生業にしてしまったものが負う「業」のようなものかもしれないけれども、苦しい、辛いからといっていますぐに「白旗」を揚げて辞めて終うわけにはいかない。ふたたび20代の感情に戻れないなら、せめて万感の想いを一つひとつの「作品」に託してお一人おひとりに送り届けてゆくしかないだろう。そして、日々の悪戦苦闘を乗り越えて、いつか無数の「楽しみ」を束ねた「夢」の実現をひたすら乞い念う。 2019.11.26

記忘記 note/off note 2019-11-25


謡の宝庫『八重山歌謡全集』再版決定

本作『八重山歌謡全集』は八重山に伝承される謡を網羅した大工哲弘のライフワークとでも云うべき畢生の大作です。2017年リリースして間もなく「初版」を売り尽くし、永らく「品切れ」状態にありましたが、大工哲弘さんはじめ大工門下・大哲会のみなさんの熱いご要請と多大なご助力により「再版」の運びとなりましたのでここにご報告させていただきます。もちろん、本作のみを以て星雲の規模を誇る八重山謡の「全体」を掌握できるべくもありません。けれども、南島謡人・大工哲弘が一曲一曲丁寧に、そして、ありったけの想い、熱と力を吹き込んだ全177曲におよぶ珠玉の唄の記録と記憶は、八重山の先人たちが謡に込めてきた叡智、自立と共生の調和の呂律を鮮やかにつたえて大きな「心の財」となることでしょう。今回の再版が最後の機会になるかもしれません。ご購入希望の方はぜひお早めのご予約を。どうぞよろしくお願いいたします。 2019.11.25

記忘記 note/off note 2019-11-25



 終らない問いかけ

2010年に音楽誌『ユリシーズ』に求められたアンケートの回答と一昨年のコメントです。アンケートの実施から9年、回想からも2年、付け加える言葉が一片もないことに半ば呆れつつ、音盤制作を継続するかぎりはこのアンケートへの十全な「回答」をさがしつづけてゆくだろうじぶんを再確認したところです。2019.11.25

2010年、音楽誌『ユリシーズ』がメジャー / インディーズ双方の「音楽関係者」を対象に実施したアンケートへの回答がひょっこり出てきました。回答から7年を経て、なつかしいというよりもむしろ、音楽を取り囲む情況もわたし自身の内情もさほど変化していないことにある種の感慨が湧きます。「いま」が変革の力を喪失しているのか、それとも、わたし自身がまるで成長していないのか。むろん、正解は後者でしょう。どんなにちっぽけな存在であっても「歴史」の主体者であり、参加者であるという自覚を最期の最後の瞬間まで棄ててはならない、そうおもうからです。だとしたら、わたしはこれからもずっと、わたしに寄せられたこのアンケートへの十全な回答を絶えずしつづけていかなければならないのかもしれません。 2017.11.25

このたびは『ユリシーズ』のアンケートにお答えいただき、ありがとうございます。それでは、まず、お名前と、現在の所属会社名と役職、それから年齢をお教えください。

神谷一義 オフノート 主宰 49

 アンケートの質問を申し上げます。回答の文字数は、質問10を除いて、140字以内でお願いいたします(短い分には何文字でも構いません)。

質問1:あなたが考える「よい音楽」とはどのようなものですか。また、具体例を上げるとすれば?

長い間、人々に愛される音楽。人間の寿命よりもっと長く。
そばにあって邪魔にならず、じわじわと心に沁み込んでくる音楽。

質問2:あなたが考える「売れる音楽」とはどのようなものですか。また、具体例を上げるとすれば?

「現在」のコマーシャリズムにとって都合の良い音楽。
広告業界内で取捨選択され送り出された「商品」。

質問3:あなたが好きなアーティストは? (複数回答可)

アタワルパ・ユパンキ、チャ-リー・パーカー、カルロス・ガルデル、キャプテン・ビーフハート&マジックバンド、嘉手苅林昌

質問4:あなたが最近買った楽曲、もしくはアルバムは? (複数回答可)

荒井由実の初期3枚。

質問5:あなたが最近買った音楽雑誌は? (複数回答可)

なし。ここ数年、音楽雑誌は購入していません。

質問6:もしもあなたがいまの会社の社長だったら、一番に推したいアーティストとそのアルバムは?

下村よう子。(京都在住のうたうたいです。残念ながら彼女のソロアルバムはありません。「薄花葉っぱ」と「ウタタネ」というバンドのアルバムで彼女の歌声を聴くことができます。)

質問7:いまは売れていないけれど、本当は一番売りたいとあなたが思うアーティストは?

関島岳郎(ミュージシャンとして卓越しているだけでなく、プロデューサー/アレンジャー/コンダクターとして大きな才能を感じます。)

質問8:インディー・レーベルの代表の方に質問です。他のレーベルとの資本統合について考えたことはありますか。

経営状態は年々、悪化の一途ですが、経営統合を具体的に考えたことはありません。また、これまでに同業者から一度のオファーもありませんでした。これからのことはわかりません。

質問9:3年後、あなたの仕事はどうなっているか、想像してお答えください。

世界各地で活動する、世代を超えた新旧の優れた音楽家たちと交流を重ねながら、地球規模のオーケストラの創出を目指している。さらに「近代大衆音楽」の成立を具に再検証しながら、わたしたち進むべき方途、音楽の未来を全力で追求している(でしょう)。

質問10:その他、何でもご意見を。

「現在」、音楽を取り巻く環境は、けして良い状態と言えません。がしかし、いまから六十数年前「戦時下」、数多の大衆音楽家たちが悪戦苦闘、紆余曲折しながらなお、自らの意思を貫き、音楽を拵えていっいたように、どんな時代にあっても「夢見る自由」はあります。戦後、黒人ジャズミュージシャンたちは自らの戦争体験を止揚して、おれたちの音楽=「ビーバップ」を創造しました。「現在」の危機を契機へと転換すること。わたしたちもまた、眼前に立ちはだかるあらゆる障害を乗り越えて、ついにわたしたちにしかあらわすことができない、21世紀の「同時代音楽」を創造していけたら、そうねがっています。いま、わたしたちに求められていることは「夢をみるちから」なのではないでしょうか。身を灼くほど烈しく「音楽の全体」を希求すること。そう、もっとしたたかに、もっと豊穣に。

 以上です。どうもありがとうございました。 

2010.5

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