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off note  DISC AKABANA  Katyusha MISORA RECORDS
〈オフノート/ディスク・アカバナー/華宙舎/ミソラレコード/邑楽舎〉CD通信販売
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記忘記 note/off note 2019-06-17


猫の時節 / 川下直広トリオ2『猫の時節 川下直広トリオ2』、本作について、昨年8月に綴ったMEMOを下記に掲げる。が、そのまえに宿酔い(大工哲弘さんと久々に深夜遅くまで呑んだのだ)の頭ですこしだけ。

本作恊働の経緯はほぼ去年のMEMOの通りだが、そんな裏事情よりもっとだいじなのは、ここに記録された音楽が湛える「過度性」の方だろう。ここに収められている音楽は、2000年のフェダイン解散から10年以上経ても〝兵士〟の軍籍を残したままだし、このあと、名手・山口コーイチを迎えてなったカルテットの名作『初戀』の鮮烈で瑞々しい〝ものがたり〟の予告もないけれども、依然として重要作であることはまぎれもない。ジャズの本性が過度的芸術なのだとしたら『猫の時節』の音楽はジャズ的というほかないし、〝フリー〟〝インプロ〟の抽象領域に〝ものがたり〟の具象をもちこんだところはもっと刮目していい。“OUR JAZZ”の発語が年を経るごとに牙を抜かれ、最初に満々と湛えていた凶々しさの水位を枯らしていったとき、このトリオ独りのみ、凶暴に猛り狂う焔のなかに叙情性の灯油を平然とぶちまけてジャズの屍を蒼く紅く燃え上がらせたのである。その意味で本作は、ジャズ永久革命を志願しつづける兵士の殉情と、世界を想いっきり抱きしめようとする刹那の行為〝速度の愛〟とが渾然とない混ざって大きな時間を描き出した傑作である。「猫の時節」に仕掛けられた時計の針は同時代の生死烈烈を哭哭と刻みながら、つねに「過度」を指すだろう。〝兵士〟の赤心と〝初戀〟の恋情がもつれ合うなんて、まるで戦場の恋歌「リリーマルレーン」みたいじゃないか。本作の黒煙をあげる猛火を現行のカルテットに投入れて、身を焦がすほどの豊穣な夢が見られたらなあ。同時代のバラッドはその夢のなかにきっと宿り浮かび上がるだろう。 2019.6.17


MEMO 猫の時節 2018

川下直広トリオ第二作となる本作は川下直広主宰・マネキネコ商会から2011年にリリースされた。オフノート作品カタログには「恊働作」がいくつか含まれていて、本作もそのなかのひとつ。これまで川下直広作品を数多くリリースしてきたのは地底レコードで、本トリオ第一作も地底から出ている。オフノートにとって地底は同業他社、いわゆるライバル関係にあるわけで、それがほとんど問題にもならず、融通し合い、即座に「恊働」を実行に移せるのが、紙切れの「契約」や既成概念に束縛されないインディーズのいいところだ。志と志の交換。むろん、このことは地底レコード社主・吉田光利さんのおおらかな人柄に負うところが大きく、感謝は尽きないが。こんな制作の裏事情というのは当事者が語らなければほとんど表には出ないだろうから瑣末ながら綴っておくことにした。
で、本作でわたしが何をしたかというと、ほとんど何もしてない。出来上がったマスターとデザインデータをプレス会社に送ったくらいかな。それと、川下さんに求められてチラシに駄文を寄せたくらいだ。こんな誰にだってできる「ガキの使い」を恩に着て、そのあとも恊働の機会をいくたびもつくってくれた川下直広さん、不破大輔さんの友情(あえてこの語を選ばせていただく)にいまでも胸が熱くなる。
チラシの文をわたしはこう綴った。

いま、ジャズの初志を聴け。
白夜の時代を駆け抜け、さらに未来を翔る持続する意志。

90年代の白夜をひたすら烈しく疾駆した砂漠の兵士たち〈フェダイン〉のフロント・川下直広。その盟友でありアングラとポップカルチャーを自在に越境・往来する未曾有の不定型オーケストラ〈渋さ知らズ〉のオーガナイザー・不破大輔。そして幻のインプロヴィゼーションロックバンド〈5000メートルプール〉リーダー・岡村太。東京アンダーグランドの拠点にしてフリージャズの発火点・入谷なってるハウスにおけるある夜の演奏を記録した本作はトリオの“いま”を生々しくつたえる。『猫の時節』、ここにあらわされた音楽たちが物語るのはいくつもの「生死烈々」、時代から時代へと烈しく生き逝ったひとたちと過ごした夜の闇の“なつかしさ”と身を灼くほどに眩しい未来への“あこがれ”とがないまざり渾然一体になったぼくたちの時代のバラッドだ。そう、同時代への「挽歌」と「未来記」。いま、ぼくたちがほしいものは逆境を契機に換える、猫のような「したたかさ」と「しなやかさ」だ。すでに忘れられて久しいジャズの初志、精神と身体がここにある。おい、友よ。川下直広トリオが未だ見ぬキミたちに贈る渾身の音の力を聴いてくれ。5年ぶりなんだ。

…いま読んでも駄文にはちがいないが、心情はこのときのままいささかも変わらない。これでいいだろう。そう自らに言い聞かせて、試みに1曲目の「ヒーリングソング」を聴いてみる。世にはこの曲名に似た〝商標〟が存在するが、肩に軽く手を置いたり優しく撫でたくらいで、傷ついた人の心が癒せるはずもない。この男たちなら傷ついて血まみれの魂でも手荒くぎゅっと抱きしめ、まるごと慰藉してしまうにちがいない。常在戦場の兵士(フェダイン)の魂がなければ「癒し」など金輪際あり得ぬことは心しておいていい。そして、本作はそんな熱い兵士の殉情に貫かれているだろう。このあと、川下直広・不破大輔・岡村太のトリオに名手・山口コーイチが合流してカルテットとなった。さらに懐深いリズムを入手してついに縁端はひらかれた。快進撃するミリタリズムの装甲車に乗って、川下直広のテナーがひたすら咆哮する。その声がおれにはいつだって「革命せよ!」と聴こえるのさ。そろそろ、川下直広カルテットの二作目が聴きたいな。2018.8.19


記忘記 note/off note 2019-06-16


囚人(めしうど)たちの唄が聴こえる

『LIVE IN TOKYO / CASSIBER』、本作はユーロアヴァンロックの極北・カシーバーが篠田昌巳をゲストに迎えておこなった最初で最後となる東京公演の模様を収めたライブ(ディスク1)とそのリミックス(ディスク2)からなる二枚組アルバムである。「牢獄と外界の秘密交信」を意味するカシーバーを名乗り、ロックという表現手段(戦術)を自覚的に選び取ったかれらにとって、ヨーロッパは歴史と制度が重畳されたしたたかな〝桎梏〟として認識されただろう。ヨーロッパ地政の堅固な地表に孔を穿つこと。おそらく、70年代にイタリアで澎湃と興ったアウトノミアの変革運動との連携も企図されていたにちがいないが、かれらの獄中闘争はロックという過度的表現に投棄してさらに尖鋭的であり凶暴である。飢えとか渇きがもたらした〝自由になろうとする自由〟の欣求において。その意味でかれらが提唱する「テキストの多義性」とは、〝今日あるがままの世界〟をアジャストする眼光紙背を通す読解力であるとともに、〝蟻の一穴からでも抜け出してみせるさ〟という巌窟王・エドモンダンテスの気概と持続の意志でなくてはならない。人間存在の受苦・受難を覚醒と救済の契機へアウフヘーベンする生の弁証法。

かつて、わたしはこう呟き、こう綴った。

カシーバーの音楽は結成から三〇年以上経過したいまも烈しい衝迫力を些かも喪ってない。否むしろ時代閉塞の様相が極まった現在にこそ音像は鋭く突き刺さる。監視の目を潜り四方を阻む壁に力ずくでドリルする囚人(めしうど)達の音楽。牢獄と外界の秘密交信の電波は微弱であってはならない。渾身の音の力がここに。

1992年におこなわれた一度きりの東京公演はわたしの記憶に深い印象を刻みました。カシーバーが発信する〝牢獄と外界の秘密交信〟の電波に篠田昌巳の真に風のようなサックスが乗ったとき、昼夜拘束管理されつづける制度の囚人であるわたしたちの魂は「路上」へと運ばれ解放されたように感じたことでした。AT LASUT I AM FREE. 常に〝フリー〟を指標としてきたわたしたちの同時代音楽はここに何ものにも束縛されざる〝真の自由〟を獲得したのです。この凄まじくもなにかもの哀しい演奏を置き土産のようにして、公演後一月も経たない内に篠田昌巳は旅立ちました。たったいま、冥界と現世を結ぶ秘密交信の電波も微弱であってはならない、そう思い定めたところです。 2018.11.14

もし、1992年の東京公演が拙文通りだったとしても、カシーバーの〝自由への逃走(闘争)〟は、この国の囲い内のなかの現在にこそ十全に試行されねばならぬ。いま、監獄暮らしも〝住めば都〟と心得る囚人の国に、かれらの〝囚人(めしうど)たちの歌〟はどう響くか。おれにはこう聴こえる。かつてこの国の監獄社会を告げ知らせ自由を前触れた〝白鳥の歌〟を、いまおまえたちはどう作り換えて歌うのか。おまえたちはいつまで囚われたままでいるのか。おまえたちはしんじつ自由か、と。

…あきらめなされよあきらめなされ あきらめなさるが無事であろう私しゃ自由の動物だから あきらめきれぬとあきらめる」(あきらめ節・軟骨の人・添田唖蝉坊のうたえる)。 2019.6.16


記忘記 note/off note 2019-06-15


オフノート関連全作品リストをつくって弊店 OFF NOTE CD NET  SHOPの片隅にそっと置いてみました。作品タイトルをただ列ねただけのごくごく簡単なものですが、従来のインデックスはレーベル毎に分けていたたため、お目当てのアイテムをお探しになる際に即ヒットしない憾みがありましたが、こちらの方が単純な分だけご利用いただきやすいのではないかとおもわれます。これまでお客さまに強いていたご不便・ご不都合が幾分かでも解消されんことを願ってやみません。どうぞよろしくお願いいたします。2019.6.15


【off note & DISC AKABANA DISCOGRAPHY】

off note 1994-

on-1.jpg
■off note / on
on-1 ウチナージンタ/大工哲弘

on-2 リライアブル・フィクション/へぼ詩人の蜂蜜酒

on-3 ヒア・カム・ザ・ダブス/サーブリーン -品切れ

on-4 歩く人/コンポステラ

on-5 大工哲弘

on-6 VAL/板谷博・ギルティフィジック

on-7 ファースト・デザーター/梅津和時

on-8 山道/ストラーダ

on-9 原田椅子/原田依幸 [2CD]

on-10 ドキュメント1989/ミュートビート[2CD]

on-11 DUO/篠田昌巳・西村卓也

on-12 ジンターナショナル/大工哲弘

on-13 RIGHT HERE!/向島ゆり子

on-14 ミラグロス/早坂紗知 & STIR UP! -品切れ

on-15 一期一会/小山彰太トリオ -品切れ

on-16 音の粒/林栄一

on-17 あがれゆのはる加那/里国隆

on-18 雲/つれれこ社中

on-19 プランタール/宮野裕司 フェビアン・レザ・パネ -品切れ

on-20 六日のあやめ/原田依幸・鈴木勲

on-21 とどかずの町で/渡辺勝

on-22 万華鏡/松風鉱一トリオ WITH 三好功郎

on-23 カフェおじさん/LOW BLOW

on-24 明日は船出/阿保郁夫

on-25 LIVE IN TOKYO/ カシーバー[2CD]

on-26 無言歌/小山彰太

on-27  MORE THAN YOU KNOW/竹内直

on-28 テキサス・アンダーグラウンド/ストラーダ

on-29 ミンピ/ヴォイスネシア・トリオ

on-30 フォトン/林栄一・中尾勘二・関島岳郎

on-31 トーキング・トゥ・ザー・スピリット/竹内直

on-32 音の力/V.A [VIDEO] -品切れ

on-33 零式/坂本弘道

on-34 風ヲキッテ進メ!/リブ!ラフ!

on-35 パンドラのカクテル/梅津和時

on-36 ×三星天洋/オドゥン [4CD]

on-37 トンプキンス・スクェア・パーク・セレナーデ/竹内直

on-38 瞽女うた/長岡瞽女篇

on-39 瞽女うたII/高田瞽女篇

on-40 黒声/里国隆 [CD+CD-ROM]

on-41 ブレイクタイム/アーリータイムスストリングスバンド -品切れ

on-42 水の記憶-この世の涯の泉のほとりで/ひがしのひとし

on-43 蓬莱行/大工哲弘 [2CD]

on-44 アンダーグランド・リサイクル/渡辺勝

on-45 瓶のなかの球体/フォークパルチザン[2CD]

on-46 唄う人/オクノ修

on-59 ぜいご/鈴木常吉 ※廃盤

■off note/non

■off note/Aurasia

■off note/華宙舎

■ミソラレコード

■MISORA RECORDS / ONDO NOW

■off note/CUT OUT

■off note/LUCKY BIRD

■off note/DIGITALIS 

■swi

■マネキネコ商会


DISC AKABANA 1991-

■DISC AKABANA/APCD
APCD-1003 天縁/玉城一美 -品切れ

■DISC AKABANA/ASCD
ASCD-2003 島や唄遊び/知名定男・徳原清文 -品切れ
ASCD-2005 昔、哥在りて/神谷幸一 -品切れ
ASCD-2006 道うた遊びうた/山里勇吉 -品切れ
ASCD-2007 八重山書生節/山里勇吉 -品切れ
ASCD-2008 アネッタイ!/ゴーヤー・トーンズ [2CD]

■DISC AKABANA/SKA

■TERURIN RECORDS

■邑楽舎[書籍]

(2019年6月現在)

記忘記 note/off note 2019-06-14



ジャズ・シンクレティズムの道標

『 FIRST DESERTER 最初の脱走兵 / 梅津和時』、1995年にリリースされた本作は、運動体としてのオフノートにとっても、同時代音楽総体にとっても、「他の音楽」への回路を繋いでくれた重要作である。1970年代、原田依幸さんとの生活向上委員会ニューヨーク支部以来、梅津和時さんはジャズ・コア内部から発信される電波に絶えず五官・第六感を澄ませて全身全霊で感知していただろう。だからこそ、時代を経るごとにジャズコアからの電波が微弱になっていったのを逸早く察知できたのだし、“AROUND THE JAZZ”への逃走を即座に開始し得たのだとおもう。そのとき、梅津さんが嗅ぎ取った〝兆し〟は、ジャズにおける〝ユニティ〟の解体であり、あらたな〝コミュニティ〟の浮上だったはずである。本来、ジャズは多種多様の民俗的要素を織り合わせた混淆音楽だっただろう。ジャズが豊かに湛えていた〝シンクレティズム〟あるいは〝エクレクティシズム〟の多様性が〝統一〟を指標としたとき、すでにジャズの興揚と衰亡は予納されていたのだ。永い間、繰り返し繰り返される興亡にどっぷりと身を浸し、ジャズという音楽と生き方に真摯に関わり、多くのものを受け取ってきた梅津さんにとって、本作はひとつの「回答」であり「決断」だったのだとおもう。そう、一番最初の、ジャズからの脱走兵になる決断。これは最早「逃走」ではない、「闘争」と呼ぶべきだろうか。
「カンサスの素朴なリフがニューヨークのスピードにぶつかったときビーバップが生まれた」と語ったのはかのチャーリーパーカーだったが、梅津さんもまた、めまぐるしく変化を繰り返すジャズコア・ニューヨークの身中に進駐して「周縁」を象る多種多様な人たちと出会い、アジア人としてのアイデンティティをまるごとさらけ出しぶつけ合って“AROUND THE JAZZ”へと投棄していったのである。本作は、梅津さん自らの来し方を綴った「自分史」であると同時に、未来音楽図でもあるだろう。AROUND THE JAZZ(=他の音楽)の可能性が〝多様性の調和〟を指標としてくっきりと道を拓いている。まさに、梅津版ガイドブック「地球の歩き方」「地球の鳴らし方」だ。そのガイドを捲ると一頁目にこうある(ウソだけど)。ジャズの街・ニューヨークをして〝アップルコア〟と呼ぶ。むろん、リンゴをリンゴたらしめているのは真ん中を貫く〝芯〟だが、齧って美味いのはそのまわりだろ。梅津和時のリンゴの味は食ってみなけりゃわからねえ、と。 2019.6.14

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記忘記 note/off note 2019-06-13



日々の泡

昨日のオクノ修さんの唄をめぐって、画家・nakabanさんとおれの間で起きた小さな〝偶然の一致〟〟は当事者以外はどうでもいいことだろうが、じぶんのなかでなにかかを広げはじめているようだ。今朝、久々に電話でオクノさんの声を聞いた。なぜか電話がとおくて聞き取りづらかったけれど、それがおれには遥か彼方のハートランドからのメッセージに聞こえた(ということはないか)。ま、近況や絵本刊行の経緯をぼつらぼつら。三上寛さんの詩にもあるように〝電話は誰かが誰かに何かをつたえる〟ためにあるし、唄は想いを運ぶためにある。ならば、本やCDもまた…。ものがたりは〝モノ〝を媒介して夢まぼろしや志を虚実織り交ぜて〝かたる〟(語る・騙る)こと、そう思い定めてCDや本や画を担いで俄か旅商いでもはじめますか。同時代音楽の行商を啖呵売(タンカバイ)でひとつ。旅の空にゃあ、新しい出会いがきっと待ってるだろう。 2019.6.13





記忘記 note/off note 2019-06-13


自由への闘争

二年前の拙文。今朝、タイムラインでFB友達の方がシェアしてくださった拙稿を見つけたので再投稿させていただきます。自分自身の確認の意味を込めて。がその前に2019年現在の心境をすこし。

叛骨のルポポライター・竹中労さん、あなたからいただいたご恩は一日たりとも忘れたことはありません。生死烈々。厳しい現実に流されそうなとき、怠惰に心たゆたうとき、あなたの叱咤激励を想います。わたしにあとどれだけ時間が残されているか心許ない。が、過程に奮迅して息めばそれでよし。ご覧ください、二〇代(ハタチ)の青春にいただいた薫陶の数々を埋み火のごとく胸中に燃やしつづけ、自由になろうとする自由、「人間を読む」ルポルタージュの営為を最後の最後まで「貫徹してまいる存念です。 2019.6.13

そして、二年前の投稿です。

竹中労さん。いま、あなたの慈悲の曠大を想います。あなたはいつだって、わたしたち若者に真剣勝負で接してくれました。どんな半ちくな奴でもやさしく包容し、ダメなヤツほど目にかけ、溢れんばかりの愛情を注いでくれました。だからこそ、あなたの周囲にはあなたを慕う若者たちが後を絶たなかったのでしょう。右翼も左翼も、信仰者もアナキストも、労働運動家も日雇い労働者も、大手エリート社員もニートも、ときにはテロリスト志願だって…。あなたはその一つひとつのやわらかい魂に真剣に向き合い、本音で語りかけてくださったのです。「将来に希望がもてない、光のない時代は一人びとり、おのれ自身が一点の強烈な光となって、現在と未来を照らすのだ」と。左右を弁別せざる、なべてのものに開かれた水平の思想、志操。23歳のとき、わたしはあなたに一筆の揮毫をいただきました。そこには少々癖のある筆致で「生死烈々」の四文字が鮮やかに認められてありました。30数年経たいまも、この四つの文字はわたしの胸中に炎のように赫々と燃えています。そう、あなたはわたしの幼い魂に「星火燎原」の炎を投げ入れてくださったのです。いくら感謝してもしきれません。どうかご覧ください、甚だ微力、不肖の身ではありますが、愚物は愚物なりに一生を賭して、あなたから戴いた「生死烈々」「自由になろうとする自由」な魂と自らに恥じぬ生き様を貫徹し、受けたご恩の万分の一でも報じる存念です。 2017.6.13


記忘記 note/off note 2019-06-12




日々の泡

本日、久々に畏友にして画家のnakabanさんよりメールをいただく。オクノ修さんの同名の唄に、nakabanさんが絵をつけた絵本『ランベルマイユコーヒー店』(京都のちいさいミシマ社から七月中旬刊)発刊の報告だ。nakabanさんがこの企画を切望されていたことはよく知っているが、きっとよろこびはひとしだろう。こちらもついついうれしくなる。nakabanさん、ご念願の絵本刊行、おめでとうございます!
この絵本いついて、版元の宣伝ページでnakabanさんご自身が綴っているが、行間から熱いものが込み上げてくる、素直な、心に沁み入るいい文章だ(文中、愚生のことにも触れてくださっていて汗顔の至りだが…)。今朝、おれもオクノさんの唄について、拙文を綴ったばかりだから、これもなにかの符牒かと驚いている。おれの駄文などは、nakabanさんの誇張のない、等身大の表白にはとおくおよばないけれども、二つの文章はたがいの心の琴線に共鳴して響き合っているだろう。誰か、なにかによばれているのかな。ハートランドからのメッセージだったりしてね…。 2019.6.12

記忘記 note/off note 2019-06-12



あの町とこの町を往き来するウタ

『ホジキンソンさんの言うことには / オクノ修』、2016年にリリースした本作は京都のうたうたい・オクノ修さんの最近作ということになるのかな。〝新譜〟と書けず、躊躇いながら〝最近作〟と綴ったのはリリースからすでに 3年が経過しているからで、いまさらながら時の流れの迅さに驚かないわけにはいかない。けれども、オクノさんのタイムテーブルはこれまで一〇年に一作ペースだから、無理矢理ひねり出した〝最近作〟という言葉も蹌踉けながらもかろうじて均衡を保っている態だね。ご承知のようにオクノさんは京都・三条河原町にある老舗珈琲店・六曜社地下店の店主である。オクノさんの一日は早朝の店内掃除から始まり、つづいて顧客先への珈琲豆発送作業。昼はカウンターのなかに立ち無駄ひとつないきびきびした動きで何杯も珈琲を淹れる。夜は実家に隣接した焙煎小屋に籠って遅くまで珈琲豆を煎る。作業が終ると、馴染みの店で一杯ひっかけて帰宅。すこしだけレコードを聴いて間もなく就寝、午前12時。〝くる日もくる日も またつぎの日も〟(「ランベルマイユ珈琲店」うたうたいのうたえる)この繰り返しだ。むろん、日々の反覆作業が「深い香りの珈琲一杯」を供するために必要にして欠くべからざるものであることは疑い得ない。まさに、一〇年一日。が、飽かずに繰り返しくりかえされる時間の堆積のなかから深い香りを閉じ込めた一杯の珈琲が拵えられるように、唄もまたそこからじわじわと沁み出してくるだろう。うたうたい・オクノ修はそのことを熟知しているからこそ、ぼくたちはかれの唄を信用できるのだとおもう。オクノ修〝一〇年一作〟の所以ある。
さて、六曜社の定休日は毎週水曜日。この休日はオクノ修さんにとってもっともだいじな時間だ。オクノさんはこの休日を利用して電車に乗ってよく出かける。訪れる場所の多くは大阪・西成地区。行きつけの店があり、そこで日がな一杯やりながら往き来する人々を眺めるのが好きだという。そんなとき、オクノさんは行き交う人の姿に、新宿でサンドイッチマンをしていた一〇代のじぶんを重ねたりするのだろうか。本作は「あの町とこの町」(フラリフラフラ)、オクノさんが日々のくらしのなかで往復する二つの町のことが語られてるだろう。ふたつの町の間に、うたうたいの「過去」と「現在」がくっきりと浮かび上がり、心象の風景を映し出す。過去と現在を「なつかしさ」と「あこがれ」にも置き換えてもいいが、いずれにしろ本作がううたうたい・オクノ修の心象のドキュメンタリであるのはまぎれもない。日々のくらしから沁み出すウチソトのモノガタリをいま。だから、ホジキンソンさんの言うことは聞くな、オクノ修の唄を聴け。 2019.6.12



記忘記 note/off note 2019-06-11


パンゴの初志と持続の意志

本作『Right Here! / 向島ゆり子』は、1996年にリリースした向島ゆり子さんの初ソロアルバムである。1970年代後半のマシンガンタンゴ、80年代前半のパンゴ(パンク×タンゴ)と、向島ゆり子その音楽活動の嚆矢に〝タンゴ〟が措かれるのは興味深い。この時期はパンク / ニューウエーヴの試行と台頭があっったわけだけれども、20代のゆり子さんが時代の〝新しい波〟を全身に被りながら、同時に世紀末を奏でるタンゴの曲調を掴みとった直感と侠気(おとこぎ)には感嘆するほかない。しかも、タンゴの衣裳で仮装して時代の終末観をやたらと煽る安手の演出で済ませるのではなく、1930年代・タンゴを1980年代・パンクに繋ぎ・重ね合わせて共振させることで、半世紀の間に大衆の身体にふり積もった原・和洋折衷複合リズムを浮き彫りにして取り出し、来るべき同時代音楽の態様を予兆する鼓動へと変えたのである。「世紀末」を「転型期」に変換するシークェンサーを十全に駆使して時代を狂踏乱舞に誘いながら、あっという間に時代を駆け抜け「踊り場」を去ってしまったパンゴ…。

本作はパンゴの試行から15年を経て着手された。多くの豪華参加ミュージシャンのなかに、かつてのパンゴのメンバーの顔ぶれも混じるところにまずは向島ゆり子の〝持続の意志〟を読まないわけにはいかないけれども、それよりは本作で展開されている音楽に虚心を耳を傾ければ、彼女が意図するところは自ずと明瞭だろう。本作においても「タンゴ」がキートーンになっていることはまぎれもないが、そこに南米音楽、伝承民謡のエッセンスを加えることで、さらに深みのある味わい深い音楽になった。論よりは証拠。向島ゆり子のガイドで、タンゴを基点とする世界音楽旅行・同時代音楽ツアーを本作にあたって実地にご体験くださいますよう。“Right Here !” 車窓を流れるめくるめく旅の景色をたのしむように、本作の音楽を存分にご堪能いただければ幸甚。

追記:本作リリースから23年、その間に、本作の制作において、献身的役割を担ってくださった今井次郎さん(2012年11月)、松永孝義さん(2012年12月)の二人がたてつづけに逝去し、それ以前に卓抜な即興技能を惜しむことなく披瀝しくれたトム・コラさん(1998年4月)も儚くなってしまった。日々、同時代の点鬼簿に親しい人の名前が連なっていくのは悲しい。が、向島ゆり子さんにはあらたな音楽未来記を綴っていただき、時代を包む重い空気を振り払ってもらいたい。さらに付言しておくと、本作の棹尾を飾る「恋の予感」はタンゴ往年の優雅な曲想をそのままつたえる。タンゴで始まりタンゴで終る。では、円環は完結して閉じられたのか。そんなことはない、「予感」とわざわざ断っているではないか。向島ゆり子のインスピラシオンは未だ枯れず、きっと次なる同時代音楽の扉を開いてくれるにちがいない。さあもういっぺん、最初から繰り返して本作を聴こう。2019.6.11



記忘記 note/off note 2019-06-10


 

日々の泡

尊敬するイラストレーター・河村要助さん、今月4日逝去(享年75)。兄貴分・藤田正さんからこの一報を受けたときは心の底から驚いた。というのも、現在企画進行中の河内音頭旧音源をまとめたアルバムのジャケットを要助さんの旧作イラストで飾らせていただくご承諾を藤田さんを通じていただいたばかりだったからである。要助さんと直接お話ししたのはたった一度きりだったけれども、名著『サルサ天国』は20代のわたしに未知の音楽・サルサの扉を開いてくれた大切な一書だったし、実行部隊の末席を汚して関わらせていただいた錦糸町河内音頭盆踊り大会のポスターも強い印象を残すものだった。もちろん、音楽誌『ミュージックマガジン』や『Bad News』の表紙を飾った河村タッチのイラストも眺めているうちに音楽が鳴り出すようで、いつだって心躍った。要助さんのイラストを未知なる世界の入口にして、ニューヨークラテン地区に迷い込んだり、夏の河内平野を音頭を求めて彷徨ったものならいくつも顔が浮かぶが、それを軽く上回ってきっと数えきれないほどだろう。音楽ファンの記憶に残る偉大な画業。その偉業をもって、河村要助の絵は世界・大衆音楽のイコンとして光彩を放ち、わたしたち同時代が共有すべき魂の財産たり得る。要助さん、ありがとうございまました。サルサ天国に召された要助さん、音楽ファンの一人として心よりご冥福をお祈り申し上げます。 2019.6.10


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