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記忘記 note/off note 2020-03-29


AT LAST AM I FREE ?

自粛の「暗い日曜日」。管理社会の牢獄がより強固化されてゆく日々のくらしのなかでカシーバー(牢獄と外界の秘密交信の意)のメッセージは切実に響く。ヨーロッパの伝統社会を牢獄と感知し、自らを取り囲む重層された分厚い壁を力ずくでこじ開け、真の自由を獲得しようと試みたかれらの先見性と真摯な営為は、この鎖国ニッポン・ブタ箱の囲い内(情報管理社会)でこそいやまして思考し志向されねばならない。巌窟王・エドモンダンテスの不屈な闘志を魂の奥底に措き、この管理社会の土手っ腹に風穴を穿ち、まつろわぬもの・罪なきものに濡れぎぬを着せようとする奴ばらを呪詛し・復讐しつづける不断の獄中闘争こそを。それにしても、わたしたちはいつまで囚われつづけているのか。 2020.3.29

以下、一昨年のMEMO。

本作は1992年、カシーバーが篠田昌巳をゲストに迎えておこなった最初で最後の東京公演の模様を記録したものです。かつてわたしはカシーバーについてこうつぶやきました。

カシーバーの音楽は結成から三〇年以上経過したいまも烈しい衝迫力を些かも喪ってない。否むしろ時代閉塞の様相が極まった現在にこそ音像は鋭く突き刺さる。監視の目を潜り四方を阻む壁に力ずくでドリルする囚人(めしうど)達の音楽。牢獄と外界の秘密交信の電波は微弱であってはならない。渾身の音の力がここに。

1992年におこなわれた一度きりの東京公演はわたしの記憶に深い印象を刻みました。カシーバーが発信する〝牢獄と外界の秘密交信〟の電波に篠田昌巳の真に風のようなサックスが乗ったとき、昼夜拘束管理されつづける制度の囚人であるわたしたちの魂は「路上」へと運ばれ解放されたように感じたことでした。AT LASUT I AM FREE. 常に〝フリー〟を指標としてきたわたしたちの同時代音楽はここに何ものにも束縛されざる〝真の自由〟を獲得したのです。この凄まじくもなにかもの哀しい演奏を置き土産のようにして、公演後一月も経たない内に篠田昌巳は旅立ちました。たったいま、冥界と現世を結ぶ秘密交信の電波も微弱であってはならない、そう思い定めたところです。 2018.11.14


記忘記 note/off note 2020-03-27-28

天上界のマツリゴト
あるいは金魚鉢に巣食う害虫の生態

東国原がまた悪質なデマを垂れ流している。曰く「日本の法律は性善説に基づいいるから非常時には何も手を打てない。こんな法律の立付は日本だけで世界のスタンダードじゃない」何ひとつ誇れるものがないのに世界唯一というだけで貴重じゃないの。アンタが言ってるのは憲法じゃなくて拳法だろ。 2020.3.27

要はお上の言うことに唯唯諾諾と従う法律を作りたいってことだろ。コロナ騒ぎのどさくさにまぎれてアンタたちがやりたいことはさ。非常事態を政治的に演出して「憲法改正」のための露払いをしよってんだからすごいな。狂犬はすでにメディア内部に発動されて権力の走狗になってるしね。わややがなもう。 2020.3.27

まったくの私見だが、政治が古来より「まつりごと」であるなら、人為を超えた自然災害に応戦するには人心の一新・魂の浄化が不可欠のようにおもえる。自然界の猛威に対し、まずは為政者が謙虚に粛然と衿を正すべきだろう。パンデミックに乗じて民心を掌握しよう、改憲の露払いをしようなど不埒千万。 2020.3.28

さんざん人の人生狂わしておいて呑気に花見見物か。能天気も大概にしないと、そろそろバチがあたるよ。それにしても、テレビはほとんど取り上げんな(連日のコロナ騒ぎが昭恵醜聞隠しにならなければ幸い)。当人は自粛なんてどこ吹く風の花見物なのに、メディアのみなさま、一にも二にも自粛自粛でお行儀よろしいことで💮💮💮(=よくできましたのはなまる印) 2020.3.28

記忘記 note/off note 2020-03-27

星の原っぱの在処を照らすひかり

2017年のMEMO。この拙文を綴って二年半近く経ったいま、ここにあらためて付け加える多くの言葉をもちません。ただ、関島岳郎・中尾勘二Duo演奏は現在、コンポステラをめぐる同時代の死を乗り越えて、生き生きと力強く未来を志向しているとだけ。その充実ぶりはきっとコンポステラ(星の原っぱ)の所在を、フォトン(ひかり)が明々と照らしてくれたからにほかならないとおもっています。世界的危機に直面しているいまだからこそ聴いていただきたい、迫り来る幾多の障害に応戦し水平の未来社会実現に挑戦する勇気と活力を与えてくれる音楽です。 2020.3.28

本作は篠田雅巳七回忌にあたって制作された。昨日の投稿で、篠田昌巳が逝ったあと、中尾勘二・関島岳郎組の演奏になにかが不足しているような感じがつきまとったと綴ったが当然だろう。すぐれた演奏にはすべて組織論がある。コンポステラは篠田・中尾・関島、この3人でしかあらわせない音の交換(交感)による「磁場」があり「作風」があり「話法」があり、それらが綾なすアンサンブルが確実にあった。けれども、音の座の真ん中でホスト役を担っていた篠田が突然いなくなってしまったのだ。痛いなんてもんじゃない。二人にとってその痛恨はいかばかりだったか計り知れない。
二人になったとき、中尾・関島の演奏は「対話」を指標としただろう。が、盟友を喪ったあとの「対話」はしめりがちで、どこかぎこちないものだったにちがいない。本作では篠田が生前最も尊敬していた音楽家・林栄一が助っ人を買って出てくれたことによって、コンポステラの音による交感、「磁場」「作風」「話法」のアンサンブルは生き生きと甦り、音楽は「反射する道」をふたたび力強く歩き出すことができたとおもっている。いま、関島岳郎と中尾勘二はどんな「対話」を交わすのかな。たぶん、そこにかつて喪失感やぎこちなさはないだろう。篠田の魂は二人の音楽に厳然と溶け込んで生きつづけているのだから。
このアルバムの共同制作者は篠田昌巳実姉・佐竹美智子さんである。佐竹さんはわたしの良き相談相手であり、たくさんの勇気をいただいた。その恩人もいまはもういない。わたしは真摯に「対話」する相手を喪ったのだろうか。そう、たしかに。けれども、傍らには関島岳郎さんと中尾勘二さんが居る。これからもこの二人と、そしてコンポステラ=「星の原っぱ」の仲間たちと共にわいわいやりながら歩きつづけてゆくだろう。「反射する道」を「一の知らせ」が示す方へ。(2017.11.15)


記忘記 note/off note 2020-03-27


越境する同時代劇

遅ればせながら、藤沢周平『三屋清左衛門残日録』を読んでいる。ご承知のように、この時代小説は北大路欣也主演でシリーズ化(時代劇チャンネル)されていて、こちらの方も四作品全篇観ているから、原作と映像の記憶を対比させながら文章を追うのはなかなかたのしい。ドラマでは、この場面はそのまま再現されていたなとか、ここは大分脚色されているぞとか。そんなふうに読み進めていくうちに、文章表現と映像表現の違いがくっきりと浮かびあがってきた。と言っても、文章に綴られている登場人物たちの微細な感情の動きが映像ではなかなかあらわしづらいというごくありきたりな感想だけれども。言うは易しで難しいことにはちがいないが、この微細な感情の記述を映像表現に置換し得ることさえできたら、映像に
依拠する同時代のモノガタリの可能性は俄然大きくふくらむ気がしてならない(たかがテレビ時代劇と思われる向きもあろうが、であればなおさら)。わたしが音盤製作に手を染めたとき、映像表現を指標とした。音に匂たつような像が浮かび上がってくることをつねに意識しただろう。また、駄文を綴るときは脳裡に音楽を鳴らして、その呂律のままに綴れるよう心懸けて日々鍛練しているが、まだまだ修行が足りず、さっぱり音が鳴らないことがままある。ならば「カメラ=万年筆」映像が登場人物の内面のドラマ、意識と無意識をあるがままに自動筆記するような自在性「映像のエクリチュール」を入手できれば、記憶を記録するモノガタリ装置として、格段のヴァージョンアップが期待されよう。そして、もうひとつ気づいた。おれたちのモノガタリ・ルネサンスにあっては表現はかならず「越境」しなければならないということた。これも当たり前といえば当たり前のことだが、精神の鎖国状態が日々強固になりつつある現在だからあえて言わずもがなを言っておこう。 2020.3.27

記忘記 note/off note 2020-03-26

篠田昌已の声が喚び起すもの

星の音楽家・篠田昌已が初リーダー作『コンポステラ』(ptff tp)をリリースしたのはたしか1990年だったとおもうが、「星の伝説」は1987年のこの演奏をもってすでにはじまっていたのだとおもえてならない。もちろん、初リーダー作のなかで提示された同時代の傾向音楽-あるいは獲得されるべき前未来志向型世界音楽の予兆-としての旗標は未だ鮮明ではないが、そこへ到るロードマップが本作にはくっきりと描かれているし、なによりもここで聴こえる篠田のアルトサックスの醸す響きと色彩はただごとではない。1960年代のアルバートアイラーのサウンドがゲットー内部に住む虐げられた黒人大衆の魂の奥底を烈しく揺さぶり、内部にねむっていたネグリチュードを呼び覚ます雄叫びであり、台頭するブラックパワーの狼煙であったように、篠田のアルトもまた、同時代の根基底から湧き起こる波動と同期して、わたしたちの情操に絶えず訴求し喚起してやまないインスピレーションと世界記憶の圧倒的総量を饒舌に物語る。篠田は同時代の流動する基底を瞬時に感知し号令する、中天の律呂と地底(ちそこ)の鼓動を照応させて浮かび上がらせた「反射する道」を歯軋りしながら往き来する虐げられたものたちの魂を励起し突き動かさずにはおかない共生の「声」をどこで入手したのか。その入手経路を辿る重要な痕跡が本作のなかにある。今日たまたま出会ったチャーリーパーカーの言葉を措こう。「音楽は君自身の経験であり、君の思想であり、知恵なのだ。もし君が真の生活を送らなければ、君の楽器は何も真実の響きを持たないだろう」。まさに然り。そして「楽器の音色こそオノレの生きざま、オノレそのもの」「最後は音色しかのこらない」とは篠田が最も尊敬した同時代の音楽家・原田依幸の言葉。 2020.3.26

記忘記 note/off note 2020-03-26


鉛筆と消しゴムの話

鉛筆と消しゴムがほしい。ジャズ評論家・平岡正明さんは執鉛筆と消しゴムがほしい。ジャズ評論家・平岡正明さんは執筆時に鉛筆を用いていたが筆圧が少ない薄い筆跡でこれならいくら書いても疲れないだろうなと思わせた。この筆法で一晩に何十枚もの原稿を著していたのだな。重力を消去して浄化する消しゴムと圧力をバネに変えて揮う降魔の鉛筆を。

叛骨のルポライター・竹中労さんは生涯「えんぴつ無頼」を自称したがその名乗りの内実は大衆に依拠して権力に屈せず上に向かって堕落しないストリートジャーナリズムの矜持と志操(羽飾り・こころいき)が重く措かれていたはずである。民衆の側に立つ「えんぴつ一本」の乱をいま・ここからはじめよう。

パーカーとマイルスの言葉が胸を突く。

音楽は君自身の経験であり、君の思想であり、知恵なのだ。もし君が真の生活を送らなければ、君の楽器は何も真実の響きを持たないだろう。 by チャーリー・パーカー

そこにあるものではなく、ないものをプレイするんだ。知っていることではなく知らないことをやる。変化しなければいけない。それは呪いのようなものだ。 by マイルス・デイヴィス

記忘記 note/off note 2020-03-26


第四次銀河交響楽断章

大好きなgiingoo(ギンゴー)の最近二作。ギンゴーは北海道を拠点に活動する馬頭琴二挺によるエスノポップの最小ユニットだか、その提出する世界・宇宙観には瞠目するものがある。北のサイハテを始点にユーラシア大陸を横断する銀河号(ギンゴー)の車窓から見える風景の佇まいは千のプラトーを現出して飽きることがない。列車はどこまでも滑走し、やがて銀河鉄道へと乗り入れるだろう。めくるめく詞と音のスペクタクル。銀河鉄道が万物の生成と死滅の軌道を走る第四次系統の車列なら、わたしもその過客の一人であるよりも、ギンゴーの二人と共に銀河のほとりに棲む星々たちの動向を探り盟を諮る工作者の独りでありたいととねがう。「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)/風景やみんなといつしよにせはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明」であり「すべてこれらの命題は心象や時間それ自身の性質として第四次延長のなかで主張」されるだろう。さて、ギンゴーと同時代音楽の協働は果たされるかな。 2020.3.26


(giingoo office-004)

記忘記 note/off note 2020-03-25

フェリーニの道の上で
ゴットフリートは世界の日の出を待っている

このストラーダ第一作『山道』を久々に聴いて思い出した。本作をリリースした95年暮れに浅草木馬亭でオフノートゆかりのミュージシャンが一堂に会した『風綺寄席』なるライブを行ったことを。 当日の東京は大雪のため交通網の半分ほどが麻痺し、動員は半減したが熱い内容だった。当然のようにトリはストラーダが務めてくれたが、あのときの演奏はスゴかった。ライブが終わるとNY帰り(わざわざ空港から駆けつけてくれたのだ)の梅津和時さんが泣きながらおれの手を握り「すごいよ、このバンド。NYで見たどのバンドよりすごいよ」と語ってくれた言葉がいまでも忘れられない。尊敬する歴戦の闘士の心のこもった言葉はその後の活動への大きな励みと弾みになった。おもえばあの日。わが同時代音楽は予測不能な典型期の「挑戦」と「応戦」を宿命っけられていたのだなといまになって思わずにはいられない。いま、この音楽を聴くとき、日の出を待ちきれず、まだ暗いうちに「世界」へむかって踏み出す第一歩の恍惚と不安がない混ざった慄えるような感情がよみがえってくる。あれからちょうど四半世紀経ったのか。いま、どこを歩いているのかまるでわからない。そんな道に迷ったとき、本作を聴いて「原点」を確認する。そう、この道はきっと世界に通ずる。生きてあるかぎり、そう信じて一歩一歩、天と地の間をゆっくり・急いで歩きつづけよう、と。 2020.3.25

記忘記 note/off note 2020-03-24

行雲流水の転音(うたたね)

本作の制作に携わった動機はほとんど成り行きというほかないが、仕上がってみると思いもよらぬ「大きな絵」が現れて驚いている。欧米では個性的なシンガー・ソングライターと先鋭的なジャズミュージシャン等、異種コラボによるカラフルでスケールの大きい作品に屡々出くわすが、この国てはごく稀にしか出会うことができない。こんな狭い国に精神的鎖国状態で暮らしていると、箱庭のような自分のテリトリーがいとおしく後生大事に思えてくるのは仕方ないにしても、本来、表現行為に境界線はないはずだ。というわけで(とはどんなわけか説明できないが)、この国にはちと珍しい作品をまたひとつこしらえることができたとおもっている。とはいえ、多くの方々からすればこのどこにも属さない唄と音楽はきっとへんてこでわけがわからないものに映るかもしれいないけれども、ヘンなの大好き、やっぱり自由が一番とおもうお方にはぜひお聴きいただきたく。会心の一作になりました。2020.3.23

以下、旧稿です。

このたび縁あって,本作『蜜ぐるみ 森羅万象ヲ踊らせてタブラ唄は序曲すル / ナマステ楽団』の制作を担当させていただいた。事の起こりは昨年晩夏にもらった一本の電話。それまで、ナマステ楽団の活動も知らず、リーダー・末森英機さんとも面識がなかったが、いつのまにか片肌どころか諸肌脱いでお手伝いする羽目になってしまった。直接会ってお話ししてみると以外にも共通の友人知人が多く、今回もその縁を辿って、贅沢にも鈴木翁二画伯の画をふんだんに使わせていただき、記念すべき第一作の装幀並びに紙幅を飾れることと相成った。末森さんについて「面識がない」と先述したが、じつは突然の電話をもらう以前から、FB「ともだち」として繋がっていて、わたしが投稿するたびに頻繁に妖しくも怪しげなコメントを寄せていただいていたから、本作はSNSのとりもつ縁と云えなくもない。ならば、これも世間でいう「出会い系」の範疇に属するのだろうか(オッサン系?)。縁は異なもの味なもの、出逢いはどこに転がっているかわからない。さて、ナマステ楽団は、末森英機のやわらかな唄声とたった二つか三つだけのギターコードで即興的に織りなす、千変万化する万華鏡のごとき綾詞(アヤコトバ)と、ディネーシュ・チャンドラ・ディヨンディの、言葉一つひとつがもつ呂律を丁寧に取り出して、匂うがごとき色彩と響きとを添えて交響させるタブラの調べだけで編成された最小ユニットながら、刻一刻と変化する森羅万象を貫く宇宙のリズムを現し身(うつしみ)にうつして無限大であり、銀河ステーションとの交信を永久に繰り返す音像器「Q-ON RADIO(クオンラヂヲ)」である。この二つの元素が化合した揮発性のエーテルはあらゆる「モノコト」や「モノオト」と溶解可能である。今回は関島岳郎さん、中尾勘二さん、山我静さんの3人のすぐれた音楽家たちのサポートを得て、コトバとオトがまぐわいながら醸される極上の混合化合物で夢の象りを克明に描き出したが,今後はさらに宙宇に「夢の表象」「大きな絵」を描き出してくれるにちがいないと期待しているのだが。おお、なんと宏大無辺な銀河交響詞よ。それにしても、縁に導かれておもわぬ「拾いもの」をした。「わらしべ長者」になった気分だ。ああ、それよか、印度の仏典にある「衣裏繋珠(えりけいじゅ)」の譬えに近いかな(そうでもないか)。そうそう、印度で思い出した。末森さんは永年アジア遍歴を重ねてきたようだが、その中で体験してきただろう知見の交々が本作には凝縮されているだろう。アジア漂浪で得た豊富な知見と生の体験は、わたしがつねに音盤制作の指標としてきた「多様性の調和」という原理と重なり響き合う。袖擦り合うも多生の縁、これもまた「出逢いの音楽」なのだろう。「やっと会えたね」という鈴木翁二『こくう物語』の台詞が暗い思念の虚空に一点の灯火のように浮かびあがる。感謝は尽きぬ。 2020.3.24

記忘記 note/off note 2020-03-24-25

日々の泡

長年愛用していたパソコンがついに壊れてしまった。早速修理に出したが、8年程使ったものだし復旧する見込みはほとんど薄いそうな。このパソコンで拙いHPも作ったし苦手だったSNSも始めることができた。感謝雨霰。しばらくはスマホとタブレットでサボりにサボってきたこのツィッターでも再開するかな。2020.3.24

昨年、人気俳優・瑛大が主演した『闇の歯車』(藤沢周平原作)公4開舞台挨拶が印象的だった。「英語を学んでハリウッドに挑戦するより髷が似合う役者になりたい。その方が世界への近道」(趣意)。その志や良し。惜しむらくは体型が昔の日本人とまるで違いすぎることかな。江戸も遠くなりにけり、か。2020.3.25

少し前にも要潤が岡っ引きを演じる捕物ドラマを観たときの違和感を思い出す。背が高すぎて足が長く股引姿がまるで様にならない。足取りがまるで違う。昔の役者は短躯短足で頭がデカイと相場が決まってたからな。欧米コンプレックスと引き換えにわたしたちは古来からのアジア的身体を失ったというべきか。2020.3.25

そこへいくてぇと自民党の代議士なんざ時代劇にはもってこいの粒揃いばかりだ。麻生太郎とか萩生田光一なんてのはヅラをかぶらせれば今日からでもいけるんじゃないの?もちろん、役どころは悪代官か悪徳商人、その下手人専門だけどね。一刻も早く大臣辞めてこちらの世界で思う存分属性を発揮してほしいな。2020.3.25

最近、民放各局での御用評論家・田崎史郎の露出が多すぎないか。朝昼晩問わず各局を泳ぎ回って稼ぎまくっている。政府とメディアの間で何か取り決めがあったのか。「自粛要請は手ぬるい、強権を発動するべきだ」と吠える吠える。頭を撫でられ、忠犬シロー。政府の本音をよく代弁してくれてエライエライ。 2020.3.25

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