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記忘記 note/off note 2020-01-17

 

日々の泡

数日前倉庫の奥から出てきた『天縁 / 玉城一美』[(1997年)を久々に聴いて不覚にも涙がこぼれた。感動の余韻は一向におさまらず、地元マルフクレコードからリリースされたオムニバス盤『普久原恒勇の世界』や『とりみとり作詞集』なんてのも引っ張り出して貪り聴き、ついに涙が止まらなくなってしまった。オキナワにはかつて、唄が庶民の間に息づいていた瑞々しい季節が確実にあったのだ、と。この国にもそんな佳き時代があったが、30年くらい前に途絶えた(喪われた30年!)。いま、「メガヒット」と呼ばれるシロモノが世代間を超えて浸透し世間一般に普く流通しないのは、この現象が偏った層をターゲットにした広告戦略の一環であることを如実に物語っている。オキナワ、本土と同じ徹を踏んでいないか。オキナワには「新唄(み-うた)」といって、琉旋にそれぞれの想いと言葉を乗せた唄が日々新しく生まれるという唄にとって肥沃な土壌があるが、その大地から獲れる「唄の恵み」「島うたの豊穣」が最近とみに減ってきているように感じられる。では、オキナワ大衆のなかに唄が厳然と息づいていたのはいつごろかと考えて、古謝美佐子の『童神』と夏川りみ『涙そうそう』が即座に思い浮かんだ。両曲とも最近のヒット曲とばかり思い込んでいたが、友人の唄者・森美千代さんに『童神』がつくられたのが1997年だと聞いて驚いた。「涙そうそう」がつくられたのは翌98年である。ということは、わたしたちが制作した『天縁』とほぼ同時期なのだな(『天縁』の録音スタジオに古謝美佐子さんと佐原一哉さんが陣中見舞いにきてくださったことをなつかしく思い出す)。たぶん、そのころまでは、唄が向かうべき「大衆像」というのはおぼろながらもかろうじてあったのだとおもわずにはいられない。どうやらこのあたりが一つのターニングポイントであったことはまぎれもなく、わたしはオキナワの唄世界から急速に遠ざかっていっただろう。数年前、作曲家・普久原恒勇先生からいただいた賀状に「最近、歌を作っていない。否、作れない!」とあったのは、いまおもえば、現場からの悲鳴であり切実な訴えだったのかもしれぬ(そのときはまったく気づかなかったが)。たしかに向き合うべき「大衆」はどこにも見当たらぬし、かつて固く結ばれていた唄と巷の紐帯もいまやほぼほぼゆるゆるだからな。それでも、わたしは「肝がなさ節」「島々清しゃ」「御縁花」「思るがな思てぃ」等、珠玉のふくはらメロディを聴けばかならず涙する。万物と同化して唄があることの軌跡。いま、粉々に砕け散った割れた鏡の破片を拾い集め接ぎ合わせてもういちど、あるがままの「大衆」を映し出せねばならないと真剣におもう。その地道な作業の過程にきっと、唄の再生、うたの神は宿るだろう。 2020.1.17

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