記忘記 note/off note 2020-11-25
ディープステートの噂話
(若しくはリリパット国の床屋政談)
フォークミュージックの面白さは固有の民俗性が表出されているからではない。民俗が根こぎ風に運ばれて同時代の滋養を吸い取りながら世界のあちこちで独自の仇花を咲かせるところだろう。コロナ渦中の現在。ダストボウルの記憶を喚び起こしながら世界を漂流するディアスポラの唄が聴こえるか。
アメリカは混民族の集合であり人種のパッチワークを思わせるがそいつを切り裂いて意識の裂け目から浮かんできた集団的無意識がディープステートの噂話だとすれば根は深い。だがその根っこの暗部を浄化してきたのが草の根民衆の歌声だろう。いま音楽に求められているものこそ集団的浄化作用だと信ずる。
今ごろ桜を見る会とは季節はずれもいいところだ。失策につぐ失策の感染対策を匿すための目眩しかとも思うがそうでもないらしい。森の中に木を隠すのは情報操作の古典的手法だけれども政権そのものが疑惑の森だからね。見慣れた森に季節はずれの桜一本満開でも誰も気に留めやしないさ。ハハノンキダネ。
ディープステートに表象される陰謀論はアメリカが建国以来抱える宿痾だろう。フォークナーが『八月の光』で描き出した白い黒人ジョークリマス像は今日もヤンキー気質の陰画たりうる。WASPもこの国を覆う単一民族幻想も虚構だがそれを牽強付会するためにまことしやかに陰謀は語られる。陰謀には陽謀を。ホワイトアウトしたアメリカンドリーム(いざなぎ景気でもバブル神話でもいいが)のリバイバルにはマルチカラーの未来の物語を。
2020-12-07 17:41