記忘記 note/off note 2019-06-13
日々の泡
昨日のオクノ修さんの唄をめぐって、画家・nakabanさんとおれの間で起きた小さな〝偶然の一致〟〟は当事者以外はどうでもいいことだろうが、じぶんのなかでなにかかを広げはじめているようだ。今朝、久々に電話でオクノさんの声を聞いた。なぜか電話がとおくて聞き取りづらかったけれど、それがおれには遥か彼方のハートランドからのメッセージに聞こえた(ということはないか)。ま、近況や絵本刊行の経緯をぼつらぼつら。三上寛さんの詩にもあるように〝電話は誰かが誰かに何かをつたえる〟ためにあるし、唄は想いを運ぶためにある。ならば、本やCDもまた…。ものがたりは〝モノ〝を媒介して夢まぼろしや志を虚実織り交ぜて〝かたる〟(語る・騙る)こと、そう思い定めてCDや本や画を担いで俄か旅商いでもはじめますか。同時代音楽の行商を啖呵売(タンカバイ)でひとつ。旅の空にゃあ、新しい出会いがきっと待ってるだろう。 2019.6.13
2019-06-13 13:55